(これまでのあらすじ)
月の民と呼ばれる遊牧民族。竹林で拾われた赤子は美しき少女へ成長し「竹姫」と呼ばれるようになります。水汲みに訪れたオアシスで、不穏な空気におびえる女子供たちを、竹姫は水の精霊を感じることで安心させるのでした。
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【第7話】
竹姫は大伴の一族と一緒に行動しているので、食事や睡眠なども大伴や羽たちと共にとっていました。
移動のない時には、陽のあるうちに食事や家畜の世話等も済ませることができるのですが、その日は宿営地を決めて準備を始めたのが遅い時間であったため、水汲みから戻ってきた竹姫や家畜の世話等をしていた羽が、有隣の心づくしの夕食をとることができたのは、もう暗くなり始めた頃でした。
一番大きな大伴の天幕に集まって一族が一緒に取る食事が終わると、いつものように、竹姫は水瓶から手桶に水を汲み、女たちが使用している天幕に向かいました。この水で髪を漉き、身体をぬぐうのです。本人は気付いていなかったのですが、この日のように水場が近くにあるところに宿営した際だけでなく、移動の道中で水場から離れているときでも身を清めるために水を使うことを許されていた竹姫は、やはり特別な扱いを受けていたのでした。
もちろん、いつも「皆と同じように扱ってほしい」と話し、「皆の役に立ちたい」と考えている竹姫の事ですから、このことに気が付けば、自分だけが特別に水を使うことはやめていたでしょう、しかし、そこはまだ、遊牧経験の少ない少女の事です。一日の終わりに身の汚れをぬぐってさっぱりしたいという思いだけで、その水の貴重さについてまでは、考えが至っていなかったのでした。
「あれ、なにかしら」
竹姫は、女たちの天幕の前に差し掛かった時に、羊や馬を入れている仮柵の前で男たちが数人集まって何事かを話し込んでいるのに気が付きました。その中には、大伴や羽もいるようでした。大伴は月の民一の強弓の使い手とされている男ですが、その大弓を背にしていて、何かを警戒しているようにも見えました。
家畜を集めた仮柵の周りには、狼などから家畜を守るための火を絶やさないよう、移動時でも宿営時でも寝ずの番が置かれます。でも、集まった男たちは、周囲をしきりに見まわしたりどこかに出かけるような準備をしたりと、いつもの寝ずの番とは違う様子でした。
大伴や大人の男たちだけであれば、竹姫もそれほど気にはしなかったかも知れませんが、その集まりの中には羽も含まれていました。竹姫は、水の入った手桶をそっと天幕の中に置くと、男たちが話しているところに近づいていきました。すると、男たちの話す声の中に、いつもとは違って緊張した羽の声があるのに、竹姫は気付きました。
「すみません、多分、俺が悪いんです」
「原因はわからんが、お前が管理していた駱駝であることは間違いない。狼に襲われた形跡はないが、どうやら、この周囲にはいないようだし、探さなければならないな」
「もちろん、俺が探してきます」
どうやら、大伴と羽が駱駝について話をしているようでした。
「あの、すみません、なにかあったのでしょうか」
竹姫は男たちに声を掛けました。
突然、薄暮の中から掛けられた呼びかけに男たちは驚いた様子でしたが、篝火の力が及ぶ圏内に竹姫が姿を見せると、少しほっとしたような、また、困ったような表情をしてお互いに顔を見あわせました。一族の女子供であれば「お前たちには関係のないことだ」と断ずることもできましたし、あるいは、男であれば「おお、良いところに来た、実はな」と相談を持ちかけることもできましたが、竹姫という「善良なる異質」に対してどのように接すればいいのか、未だに自分の中に落とし込めていない大人も多かったのでした。
「ああ、竹姫。実はですね」
「すまん、竹、俺が失敗した」
そのような男たちの中で、やはり大伴と羽の二人が、竹姫に対して真っ先に返事をしました。同時に竹姫に話しかけようとした二人は篝火越しに視線を合わせましたが、大伴が羽に「お前が話せ」と促しました。羽は大伴に対して軽く頷くと、真剣な表情で竹姫に向き直り、話を続けました。
「あのな、竹がここまで乗ってきた駱駝なんだけど、あいつの姿が見えないんだよ」
「私が乗ってきた駱駝?」
羽の言うことを即座に理解できなかった竹姫は、頭の中で羽の言葉をくるくると回しました。
竹姫が乗ってきた駱駝は、移動の道中は羽が轡(くつわ)をとってくれていて、宿営地についた後の世話も羽がやってくれていました。
通常は、騎乗用の駱駝は他の家畜のように遊牧はせずに、前足を軽くひもで結わえて、宿営地周辺から遠くに行かないようにして放しています。羽が言うには、その宿営地周辺にいるはずの駱駝が見当たらないのです。もう薄暮とはいえ、今日は晴れていて月明かり星明りも十分にあります。それに、騎乗用に訓練された駱駝には、他の家畜と同じような首筋への焼き印の他に、騎乗時にお尻の下に敷く赤や青の丈夫な布地を、放しているときの目印として首筋に巻き付けているので、近くにいれば、目のいい彼らが見落とすはずはありません。つまり、この宿営地周辺にはその駱駝はいないのではないか、ということになります。
竹姫が、ここまで乗ってきた駱駝は、赤い布地を首筋に巻き付けている駱駝は、一体どこへ行ってしまったのでしょうか。駱駝、駱駝‥‥‥。
「ああ、そう、そうだよっ。駱駝だ」
突然、竹姫は大きな声で叫びました。男たちはびっくりして竹姫の顔を見つめました。その男たちの半身だけを、篝火が照らします。夜がだんだんと、篝火の投げかける光の力を削いできていました。