コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

【寓話】 金色の魚と水槽

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 これは、今よりもずいぶんと昔、フランスがまだガリアと呼ばれていた頃のお話です。

 

 

 今のスイスに当たるアルプスの高地から、遠く地中海にまで流れる川がありました。ローヌ川と呼ばれるその川は、険しい峰と峰の間に横たわる大きな氷河を源とした、とても清らかな流れでした。高山の合間を縫い、ガリア南部に横谷を形成し、最後には地中海に至るその川では、ガリアに人間がやって来るもっともっと前から、魚や鳥などのたくさんの生き物が暮らしていました。この川にはタラスクと呼ばれる神がおり、生き物たちはタラスクの下で仲良く幸せに暮らしていましたが、その中には、タラスクを困らせるわがままな魚もいたのでした。

 

 

「タラスク様、また、あの娘がわがままを言っています。みんなで群れを作って踊りの練習をしようと言っても、ちっとも聞きやしないんです。お願いです、あの娘に何とか言ってやってください」

 今日もまた、わがままな魚に振り回された仲間から、タラスクにお願いが届けられました。しばらく前から、同じようなお願いが、何度もタラスクの下に寄せられているのでした。

 ローヌ川に住む魚の中に、周りの魚たちとは全く異なるキラキラと輝く金色のうろこを持った、とても美しい娘がいました。でも、その娘は、自分の美しさに自信を持ちすぎていて、他の魚の容姿について酷い言葉を投げつけたり、自分は特別に美しい存在なので皆と一緒に踊ったりしなくてもいいんだと言ったりして、周りの仲間に対して大変な迷惑をかけているのでした。

 氷河から送られてくる恵みの水のように、絶えることなく届けられる苦情に困り果てた、山猫の上半身と竜の身体、さらに、六本の肢に加えて亀の甲羅を備えたローヌ川の神タラスクは、金色のうろこを持つ魚マルタを呼び出したのでした。

「これ、マルタ。お前は、どうして他の魚たちと仲良くしないのだ」

「タラスク様、何をおっしゃるのですか。あの子たちのうろこを見てください。あの、醜い銀色のうろこを。川底を泳いでいたら、泥に紛れて見分けもつきやしません。それに比べて、わたしのこのうろこの輝きはどうですか。まるで川の中でお日様が輝いているようじゃありませんか。これほど美しさが違うのに、仲良くなんてできる訳がありませんわ。どうして、わたしたちが仲間などと、酷いことをおっしゃるのですか」

 タラスクの前でも、金色のうろこを持つ魚マルタは、全く動じるところを見せませんでした。それどころか、逆にタラスクに文句を言うほどの傲慢な態度を見せるのでした。

「わたしのような飛び抜けて美しい魚は、ただそこにいればいいのです。それだけで、周りのものがわたしの美しさに気付いてくれます。踊りを踊るなんて、ばかばかしい。それは美しくない魚たちがやることですわ」

「そうか、お前の美しさは、それほど素晴らしいものなのか」

「もちろんですわ、タラスク様。美の女神様がわたしに与えて下さったこの金色のうろこの美しさには、どんな魚、どんな生き物、いいえ、どんな宝石だって、かないやしませんわ」

 タラスクは、返答する間も自分のキラキラと輝くうろこから視線を外さないマルタを見て、深いため息をつきました。これまでも、タラスクの下に苦情が届けられる度に、何度もマルタには話して聞かせてきたのです。ですが、どうやらマルタには、何を話しても通じることはなさそうでした。

「これは一度、思い知らせてやらねばなるまいな」

 そう考えたタラスクは、一計を案じて、マルタに提案をしました。

「なるほど、たしかに、お前のうろこの綺麗なことには、ワシも驚かされた。まさにこのローヌ川の誇りと言ってもいいかもしれんな。そこで、そのうろこの持ち主であるお前に相談がある。実は、最近になって、この川沿いにローマ人が町を築いたのだ。町の人は、ワシの名にちなんでその町の名をタラスコンとするぐらい、このローヌ川を敬ってくれている」

「それは良かったですね。でも、それがわたしと関係があるのですか」

 タラスクとの話を早く切り上げて、ゆっくりと自分のうろこを眺めていたいと考えているマルタは、少しいらいらしながら口をとがらせました。

「それが、お前にしか頼めないことなのだ」

 タラスクはそう言って、マルタの自尊心をくすぐりました。

「ワシはかねてから町の者たちに対して何か礼をしたいと思っていたのだが、いい考えが浮かばなかった。だが、どうだ。いまワシの目の前には、このローヌ川でもっとも美しいうろこを持つお前がいるではないか」

 タラスクは、まんざらでもなさそうな様子のマルタを見て、さらにマルタを持ち上げにかかりました。

「そこで、思いついたのだ。あの町にある公園に水槽を造り、その中にお前に入ってもらうのはどうだろうか。そうだ、お前の美しさを引き立てるために、大理石や宝石などで水槽を豪華に飾り立てよう。そうすれば、公園を訪れた町の人は、豪華な水槽によって今よりもさらに際立ったお前の美しさに触れることで、心が洗われたり幸せを感じたりできるのではないだろうか。マルタよ、これは、美の女神に愛されたお前にしか頼めないことだ。この川を代表して、町に行ってくれんか」

 以前から自分のうろこの美しさに驕り、もっとたくさんの生き物にそれを見せつけたい、そして、褒め上げられたい、羨ましがられたいと考えていたマルタにとって、タラスクの依頼は願ってもないものでした。

 なんと、この川の周囲に新しくやってきた生き物である人間に、自分のうろこを見てもらえる、それも、豪華に飾り付けられた水槽という、最高の舞台まで用意してもらえるというのですから。

 それでも、この話に喜んで飛びつくようでは自分が軽く思われると考えたマルタは、しばらく考えるふりをしてから、ゆっくりと返事をするのでした。

「・・・・・・わかりました。タラスク様がそこまでおっしゃるのなら。それに、その役にわたし以上の適任はいないと思います。その豪華な水槽なら、わたしの美をより引き出してくれると思いますわ。よろこんで、この川の代表として行かせていただきますわ」

「おお、行ってくれるか」

 タラスクは、嬉しそうに前と中の二対の肢を打ちあわせました。そして、マルタの気が変わるのを恐れるように、さっそく、魔法の言葉を唱え始めるのでした。

 

 ローヌガワノカミ タラスクガメイズル 

 キンノウロコヲモツ マルタヲ 

 タラスコンヘト オクリタマエ・・・・・・

 

 タラスクが繰り返し唱える言葉がどんどんと早さを増していくと、マルタの周囲の水が漏斗のように勢いよく巻きあがり、そして、マルタ共々雲上の彼方へと舞い上がっていきました。

 青い空に溶け込んでしまった漏斗の軌跡を見上げながら、タラスクはつぶやくのでした。

「これで、マルタも大事なことに気が付いてくれれば、良いのだが」と。

 

 

 タラスコンは、ガリア南部に進出してきたローマ人が建てた新しい町でした。町は大きな広場を中心に広がっていて、広場には噴水や公園が設置されていました。そして、その広場の周囲には、ローマの神々を讃える神殿がいくつも建てられていました。

 でも、多神教を信奉するローマの人々は、進出先の土地神にも寛容だったので、ローヌ川の守り神とされ現地の人々から敬愛されているタラスクから名前をもらってこの町の名とし、タラスクのための小さな祠も公園の一角に建てていました。これは、ローマ人の宗教に対する柔軟性が現われたものでもありますが、ローマ人が他国へ進出し領土を拡大していく中で、進出した先を自国に上手に取り入れていくための、一つの手段でもありました。

 タラスクがその力によりマルタを送り込んだのは、公園の一角、自らを祭る祠のすぐ傍らでした。緑の木立を背景にしたその場所に、白い石が敷き詰められた公園の敷地の一部と入れ替わるようにして、水槽は一晩のうちに現れたのでした。

 その水槽は、とてもとても美しいものでした。

 公園に敷き詰められた白石の一角に、薄緑色の大理石でできた水槽が埋め込まれていました。その大理石には、ローヌ川の流れに見立てた文様やそこで暮らす生き物の姿が、とても繊細な表現で刻み込まれている上に、それは、陽の当たる角度により複雑にその色を変える様に計算されているのでした。さらに、その大理石には、翡翠や瑠璃などの宝石がふんだんにあしらわれているので、キラキラと輝くその水槽を見ている者は、まるで、陽の光を反射する川面で遊ぶ、鳥や魚を眺めているような気分になるのでした。

「あーあ、なんだか、タラスク様に上手く乗せられちゃったみたいだわ。でも、いいかな。せっかくの機会だし、わたしのこの美しいうろこを、みんなに見せつけてあげましょう」

 水槽は大きなものでしたが、その中で泳ぐ魚はマルタだけでした。己の美しさに絶対の自信を持つマルタは、踊ることなどはせずにじっとしているだけなので、その水面には、ときおり風が立てる小さな波の他には、何の変化も現れないのでした。

 水槽が現われた次の朝から、その前をたくさんの人が通り過ぎました。公園の端に在るとはいえ、タラスクの祠を詣でる人は多かったのです。

 人が近づく気配を感じるたびに、マルタはその胸を逸らし、自分に賞賛の言葉が投げかけられるのを待ちました。

 でも、どうしたことでしょうか、いくらマルタが待っていても、「なんて美しい魚なんだろう」という誉め言葉や、「見ろよ、あの素晴らしく輝くうろこを」という感嘆の言葉が、聞こえてくることはありませんでした。

 それどころか、水槽の前に立ち止まる人は皆、「なんて美しい彫刻なんだろう」、「見ろよ、あの素晴らしく輝く宝石を」などと、水槽ばかりを褒め称えるです。そして、ひとしきり水槽の美しさを楽しんだかと思うと、水中からじっと自分たちを見上げている魚には目もくれないままで、立ち去ってしまうのでした。

「今の人たちは用事があって急いでいたので、水中のわたしに気がつかなかったのだわ。普通、水槽よりもこのわたしに真っ先に気がつきそうなものだけれど、よっぽど急いでいたに違いないわ。そうでなければ、この町があまりに田舎過ぎて、美しいとは何か理解できる人がいないのだわ」

 始めの頃はそのように考えて自分を慰めていたマルタでしたが、どうやらその考えは間違っていたようでした。なぜなら、水槽が作られてから何日が経っても、誰もマルタに気がついてはくれなかったからでした。

 誰も水槽の前を通らなかったわけではありません。むしろ、色んな人が水槽の前にやってきていました。その中には、水槽の前に椅子を置き、何やらスケッチを描き始めた絵描きまでもがいました。

「ようやく、わたしの美しさを理解できる人がやってきたわ」

 水槽ばかりが褒められて自分には誰も気がついてくれない理由を、町の人が美を理解しないからだと決めつけていたマルタは、少しずつ感じ始めていた憂いを池の底に沈めて、しっかりと胸を張りました。

 でも、その画家が描き上げた絵は、水槽の後背の木々の緑を夜空に、水面と宝石の輝きを星月の輝きに見立てた、この町の夜景でした。もちろん、その絵の中には、水中で見つけられることを願っているだけの魚の姿や、それから印象を受けたものなどは、描かれていないのでした。

 マルタは心の底からがっかりしました。それでも、マルタの自分のうろこの美しさへの思いは、変わらないのでした。

 

 

 ある晩のことでした。水面に浮かぶ満月の中からふわっと白い煙が立ち上がったと思うと、その煙の中にタラスクが姿を現しました。タラスクは、マルタの様子を見に来たのでした。

「あ、タラスク様じゃありませんかっ! お話がまったく違うじゃありませんか。人々がわたしのうろこに驚き、称賛の叫びをあげるはずではなかったのですか。人々が褒め称えるのはこの水槽の美しさだけで、このわたしには気がつく者もないという有様なのです。いったいなぜなのですか」

 タラスクが口を開くより先に、マルタの口から抗議の言葉が次々と飛び出しました。それは、この水槽の中でずっと、マルタの心の中にたまっていた叫びだったのでした。

「さすがのマルタも応えたと見えるな」

 タラスクはそう思いながら、目を細めてマルタを見下ろしました。彼にはこのような結果になることが判っていたのです。彼がこのような事をしたのは、自分のうろこの美しさを誇るマルタに、美しさにはいろいろなものがあること、上には上があること、そして、それに優劣をつけたりすることが愚かしいということに、気付いてほしかったからでした。

「なにを言うマルタ。豪華な水槽により自分の美が引き立てられると言ったのは、お前自身ではないか。よいかマルタ、美しさにはいろいろなものがある。そして・・・・・・」

「ああ、もう、確かに色々な美がありますわ。この町の人が好きなのは宝石や彫刻の美なのかもしれません。だけども、それと、わたしのうろこの素晴らしさとは何の関係もありませんわ。この水槽は素晴らしい。わたしも素晴らしい。それだけのことです。この水槽が邪魔をしさえしなければ、町の人はみな、わたしの美に気がつくはずですわ」

 マルタはタラスクの言葉を途中でさえぎると、自分のうろこの素晴らしさを堂々と主張し始めました。水槽にばかり注目が集まる今の状況にまいってはいたものの、彼女の考えは変わってはいなかったのでした。

「おやおや、これはまだ時間がかかりそうだ」

 タラスクは心の中で驚きを持ってつぶやくと、マルタに提案を行いました。

「そうか、では、お前の言うとおり水槽の装飾をなくして、町の人たちの注意を逸らすことが無いようにしよう。それに、この場所は日差しを遮るものがないから、あの後ろに並んでいる木の枝を伸ばして、日陰になるようにしてやろう。そうすれば、町の者もゆっくりと足を止めて水中を眺め、お前の美しさを讃えることができるというものだ。どうだ、マルタ」

「ありがとうございます、タラスク様。そのようにしていただければ、間違いなく人々の注目はわたしに集まりますわ。わたしの美しさに打たれた人々は、きっとローヌ川の生き物に敬意を持つことになるでしょう」

 タラスクの提案は、マルタにとって、とても好ましいものに思えました。タラスクに答えながらも、すでにマルタの目には、自分を褒め称えるたくさんの町の人が見えているのでした。

「わかった。では引き続きよろしく頼む」

 自分の世界に浸っているマルタに、タラスクが煙の中からそう伝えると、白い煙は夜の空に向かってどんどんと上がっていき、そして、消えてしまいました。

 

 

 次の日の朝になりました。夜の闇を公園から追い払った太陽の光は、水槽とその周りには届かなくなっていました。タラスクの祠と水槽の後背地に林立していた木が一晩のうちに枝を伸ばし、それがちょうど屋根のように水槽の上に掛かって、日差しを遮っていたのでした。そして、その屋根の下の水槽も、ずいぶんと姿を変えていました。タラスクが話していたように、宝石や彫刻などの装飾は完全になくなっていました。また、水槽の素材も複雑な色で彩られた大理石から、公園の敷石と同じような、単純な白い石に変わっていました。

 その大きく変わった環境の中で、唯一変わっていなかったのは、その中で泳ぐマルタだけでした。

「タラスク様のおっしゃったとおり、邪魔な装飾はすべてなくなったわ。これで、町の人はみな、わたしの美しさに気がつくことでしょう」

 そしてこれまでと同じく、マルタは水槽の中でじっと胸を逸らして、自分に賞賛の言葉が投げかけられるのを待つのでした。

 それから、幾日かが経過しました。

 マルタの考えの通り、人々は彼女に気付き、その美しさを称えるようになったのでしょうか。

 残念ながら、そのようにはなりませんでした。陽の光が入らなくなった水面は薄暗く、その中で踊りを踊るでもなく、ただじっと胸を逸らしているだけのマルタのうろこは、光を反射して輝くことなどなかったのでした。もちろん、そのようなマルタに気がつく者など、一人もおりませんでした。

 以前よりも、水槽に関心を払う人は少なくなってしまいました。水槽から発想を得てスケッチを描いていた画家の男も、この祠の前を通っても新しい水槽には注意を払いませんでした。そのまま町の中へ歩いて行った彼がスケッチしたのは、夜のカフェなのでした。

 そのような日が続く中で、マルタの気持ちもどんどんと落ち込んでいくのでした。

 

 

「どうして、どうしてなのっ」

 誰もいない夜の公園に、マルタが嘆く声が大きく響いたその時、再び、水面の月から白い煙が立ち上りました。タラスクがやってきたのでした。

 この度タラスクが意図したのは、マルタに、自分が美しいと思っている金色のうろこは、太陽という他者の助けがあって初めて輝くものなのだということ、そして、その美しさを発揮するには踊りを踊るなどの自らの努力が必要なのだということ、それらに気付いてほしい、というものでした。

「タ、ラ、ス、ク、様ぁ・・・・・・」

 でも、自分を水中からじっと睨みつけるマルタの姿から、タラスクは何も言う前に、その真意がマルタに伝わっていないことを悟りました。

「どうして、わたしをこんな目に会わせるのですか。タラスク様のなさることは意地悪なことばかりです」

 一度痛い目に合えば、マルタも大切なことに気がついてくれるのではないかと思ったタラスクでしたが、マルタにはその思いが逆に受け取られてしまったようでした。

「ひょっとして、タラスク様も、わたしの美しさに嫉妬してこんなことを・・・・・・。そうなんだわ、タラスク様がわたしをねたんで・・・・・」

 とうとう川の守り神であるタラスクを貶めるような言葉までもが、マルタの口から漏れ出てくるのでした。ローヌ川の生き物が守り神たるタラスクをあしざまに言うことなどあってはならぬことでした。この期に及んでは、タラスクも穏やかな手段ばかりを用いる訳には行きません。これ以上マルタが秩序を揺るがすような言葉を発すれば、川の掟に従い、彼女に大きな罰を与えねばならないからです。

「待て、マルタ、どうしてこのようなことを、ワシがしているのかわからんのか。お前に何が足りないのか、直接ワシがその目に見せてやるわ。はぁっ」

 タラスクは一声大きく叫ぶと水中に飛び込み、その山猫の口でマルタを掴むと、そのまま天上へ駆けあがっていきました。

 

 

「タラ、スク、様・・・・・・」

「おお、目が覚めたかマルタ。では、下界を見るがよい」

 驚きのあまり気を失っていたのでしょうか。マルタがキョロキョロと見渡した周囲は、これまで水槽の中で眺めていたものとは全く異なっていました。それに、タラスクは何と言っていたのでしょうか、え、下界?

 なんということでしょうか、マルタはいつの間にか、タラスクに連れられて雲の上まで上がり、いまは空の青の中を泳いでいるのでした。

 タラスクに促されて下を見たマルタが目にしたのは、自分がいた水槽でした。それも、始めの頃のように、キラキラとした豪華な装飾が施され、木の枝に覆われていない水槽でした。その中には、いつも自分を踊りに誘ってくる銀色の魚が数匹泳いでいました。

「タラスク様、わたしの代わりに、あの醜い銀色の魚を送ったのですか。でも、この美しいわたしにすら、町の者は見向きもしなかったのです。あの美しくもない魚たちでは、とてもお役に立たないと思いますわ」

 自分よりも美しくないと見下していた魚が自分の代わりに泳いでいるのを見て、マルタはとても尖った声を出しました。

「しばらく黙って見ておれ」

 タラスクは強い口調で言い渡し、それ以上マルタに何も言わせないようにしました。仕方なくタラスクの横で水槽を見下ろしていたマルタでしたが、彼女が見たのは、全く想像もしていなかった光景でした。

 なんと、町の人々が水槽の周りに集まって、銀色の魚を褒めそやしているではありませんか。

 銀色の魚たちは、川の中で練習している踊りを、観客に対して集団で披露していました。その銀色のうろこは、彼女たちがくるくると身をひるがえす度に、陽の光を反射して、宝石とは比べられないほど美しく輝いているのでした。

「すごいな、こんなきれいな魚たち、初めて見たよ」

「この豪華な水槽と綺麗な魚が、とてもお似合いだね」

 町の人たちは、感心したように、口々に賞賛の言葉を発していました。そして、その最前列には、あの画家が椅子を据えて、夢中でスケッチを描いていました。もちろん彼が描いているのは、水槽の中で踊る魚たちの絵でした。

「・・・・・・どうして・・・・・・。どうしてなの・・・・・・」

 空の上からその様子を見下ろしているマルタには、なぜそのようなことが起きているのかさっぱりわかりませんでした。

 地上の光景から目を逸らすこともできず、ただその身体を細かく震わせているマルタに向けて、タラスクが話しかけました。その声は先程までの厳しいものとは違って、優しさに満ちたものでした。

「マルタ、あの銀色の魚たちを見てみろ。みんなで綺麗に踊っているではないか。自分たちの魅力を引き出せるように精一杯に踊っている。あれは、いつも川の中で練習している踊りだ。マルタも誘われていただろう」

 ビクッ。マルタの身体が、大きく震えました。

「それに彼女たちは一人で踊っているのではない。みんなで踊っているからこそ、より多くの者たちを楽しませることができるのだ。そして、彼女たちのうろこをキラキラと輝かせているのは、太陽の光だ。自分たちの力だけではなく、周りの手助けがあってこそ、より輝くことができるのだ。彼女たちのその想いと、日頃からの努力があってこそ、あの豪華な水槽と釣りあい、お互いの美を高め合っているのだ」

 ビクッ、ビクビクッ。また、マルタの身体が大きく震えました。

 ・・・・・・ああ、自分はあの水槽の中で何をしていたのか。

 ただ自分のうろこの美しさを過信して、踊りもせずに浮いていただけではないか。それでは、うろこが陽の光を反射して輝く訳はない。そして、何の動きもしない魚が、豪華に装飾を施された水槽と、お互いの美を高め合えるはずもない。町の者の目が水槽にばかり集まるのは、当然のことだったのだ・・・・・・。

 ようやく、マルタは悟ったのでした。自分に何が欠けていたのかということを。そして、それを判らせようと、タラスクがこのような手間をかけてくれたということを。

「ありがとうございます、タラスク様。わたしは自分のうろこが美しいとのぼせ上り、大切なことを忘れておりました。それに気づかせていただいて、本当にありがとうございます」

 マルタは、傍にいるタラスクに、丁寧にお礼を言いました。

「そうか、わかってくれたか。良かったぞ、ワシも嬉しい。だが・・・・・・」

 ようやくマルタにわかってもらえて、タラスクの顔に大きな笑みが浮かび、長いひげがフルフルと震えました。マルタは強情な魚で、これまでいくら話しても全く話が通じなかったものですから、その喜びは格別なのでした。でも、そのタラスクの嬉しそうな顔に、すぐに、陰りが浮かんできたのでした。

「マルタ、残念なことを話さなければならない。お前が川の神たるワシを罵ろうとしたことから、それ以上罪を重ねる前にと思い、この雲上に連れてきたのだ。だが、限りある命の者がこの雲上に上がることは、通常許されることではない。それゆえ、無事に地上に帰るためには、最も大切にしているものを差し出さねばならない決まりなのだ。そして、お前の場合、それは・・・・・・」

 いつもの快活な話し方ではなく、段々と尻すぼみになっていくタラスクの説明を、マルタは落ち着いて聞くことができました。

 そして、にっこりと笑って、答えたのでした。

「ええ、わかっております。でも、大丈夫です。そう、タラスク様が教えてくださいましたから」

 

 

 

「マルター、踊りに行きましょうー」

 銀色の魚が、マルタに声をかけてきました。

「ええ、いいわ、行きましょう」

 マルタはその誘いに笑顔で答えると、銀色の魚の後について行きました。

 二匹の銀色の魚は、太陽の光をキラキラとうろこで反射しながら、楽しそうにローヌ川の清流を上っていきました。

 ローヌ川から、金色のうろこを持つ魚は、いなくなってしまいました。

 でも、川を訪れたものは見ることができます。見事な踊りを踊る銀色の魚の群を。そして、その中で、まるで水中で星が煌めくように、見事にうろこを輝かせているマルタの姿を。