コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

【掌編小説】僕が知らなかったことと知っていること

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 僕は知らなかった。

 一目惚れというものが、本当に存在することを。

 

 

 一目惚れなんて、実際にはあるはずがない。そりゃ、女の子を見て「可愛いな」と思うことはあるかもしれないけど、相手の性格や趣味なんかをよく知りもしないのに、突然恋に落ちるなんてあるはずがないじゃないか。それは、登校時に曲がり角でぶつかった美少女が実は自分のクラスの転校生だったとか、自分が知らないうちに親が決めていた許嫁が前触れもなく家に押しかけてくるとかと、同じレベルの都市伝説じゃないか。

 僕はそう思っていたんだ。彼女と出会う前までは。

 

 

 彼女を初めて見たのは、苦労して合格した高校の入学式の日だった。中学の時は徒歩通学だったから、高校生になって初めて電車通学となって、とても落ち着かない気持ちだったのを覚えている。

 電車に乗るのはほんの数駅のことだったけれど、万が一にも乗り過ごすことが無いようにと緊張していた僕は、電車が駅に止まる度に窓からホームを見て駅名を確認していた。

 僕が乗った駅から二つ目の駅だったろうか。開いた扉から春風と一緒に車内へ入ってきたのが彼女だった。ゆるく波打った髪が朝の光を浴びて鮮やかに輝いていた。どこか疲れたように目を伏せている他の乗客と違って、彼女の瞳には生き生きとした光が宿っていた。彼女の唇はさくらんぼの様に瑞々しくて、きっとそこから発せられる言葉は、小鳥のさえずりの様にみんなの心を楽しませてくれるだろうと思えた。

 彼女が車両に入ってきたとたん、僕は駅の確認どころではなくなってしまった。文字通り、僕の目は彼女にくぎ付けになってしまったんだ。一緒に登校していた友人が肩を叩いて合図をしてくれなかったら、きっと入学式当日から僕は電車を乗り過ごしてしまっていただろう。

 ああ、そうなんだ。

 僕は彼女に一目惚れをしてしまったんだ。

 

 

      ◆◇◇◇◇ 

 

 

「なんだ、修平、まだ告白しないのかよ」

 雨傘を畳みながら電車に乗り込んできた彼女を、車両の反対側からぼーと見つめていた僕の横腹を、博人がつついた。

「で、できるわけないじゃないか、告白なんて。彼女の近くに行くこともできない僕に、そんな」

「そうは言っても、さ。ずいぶん長いじゃないか、お前が彼女を好きになってから」

「それは・・・・・・」

 僕は、彼女の横顔に向けていた視線を、少しだけ博人の方へ移した。こいつは同じ高校に通う友人で、同じ中学の出身だ。中学の時から僕とは仲が良い。博人はサッカー部、僕は美術部だけど、今日の様にテスト期間で部活が休みの日には一緒に通学している。

 そう、入学式の日に、初めて見た彼女に心を奪われてしまい、降りる駅を乗り過ごしてしまいそうになった僕に、肩を叩いて合図してくれたのは博人だった。

 そういう訳で、初めっから僕の気持ちは博人にはバレていたから、彼にだけは僕のバカバカしいけど真剣な悩みを打ち明けていたのだ。

 彼女は一体どこの学校に通っているのだろうか。明日もまた彼女に会えるだろうか。もしも運動部に入って朝練のために登校時間が変わったら、やっぱり二度と会えなくなってしまうんだろうか。いや、そもそも、彼女だって運動部を選ぶかもしれない。そうだ、彼女と同じ部活に入れば良いんだ。ラケットかなにか持ってないかな。そうしたら、それを見て何部に入ったかがわかるのに・・・・・・。

「彼女さんも、ずっと同じ電車なんだろ。良かったじゃないか、きっとあの子も文化部だよ。もう、六月だぜ。思い切って告白しちまえよ」

「彼女にずっと会えているのは、そりゃ嬉しいよ。だけど、だからと言って、距離が縮まっている訳じゃないことは知ってるだろ。僕はずっと、ここから彼女を見ているだけだったんだから」

「だからだよ、修平。ここは一発、行動しようぜ。なっ。おっと、もう俺達が降りる駅か。仕方ない、どうだ、明日でも」

「博人には、わかんないんだよ・・・・・・」

 今日の幸せな時間はあっけなく終わってしまった。僕たちが通う高校の最寄り駅に電車が到着してしまったんだ。

 僕は扉に向かいながら、名残惜しくて彼女の方をもう一度見た。吊革には掴まらずすっと背筋を伸ばして立っている彼女は、両手で開いた大きな本を読んでいる。教科書か参考書かな。考えてみれば、僕たちの高校がテスト期間中なんだから、彼女の所もそうなんだろう。梅雨でジメジメした車内も、彼女の周りだけは爽やかな空気で満たされているような気がする。

「おい、修平っ。降りろっ」

 出入り口の前で立ち止まりそうになった僕の背中を、乱暴に博人が押した。

「ごめんごめんっ。わかったから、そんなに押すなっ」

 慌ててホームに降り立った僕たちの背中で、プシュウと空気を吐き出しながら扉が閉まった。ゆっくりと次の駅へと動き出す車両。その中ではきっと、彼女が本を読み続けているのだろう。

「博人には、わかんないんだよ・・・・・・」

 僕はホームから出ていく電車を見送りながら、もう一度口の中でその言葉を繰り返した。

 行動したくないわけじゃない。告白したくないわけじゃないんだ。したいんだよ。だけど、自信がないんだよ。ルックスがいいわけでもなければ、頭がいいわけでもない。部活で活躍しているわけでもなければ、人に話せるようなすごい特技があるわけでもない。何もないんだ。これが僕ですって、彼女に話せるものが。

 今まで考えたこともなかった。自分が何を持っているか、自信を持って人に話せるものがあるか、なんて。

 それに、自分で誇れるものが無いってことがこれほど辛いなんて、僕は知らなかった。

 

 

      ◇◆◇◇◇

 

 

 夏休みが終わってからずいぶんと日が経ち、電車の窓から入り込む日差しが柔らかくなってきたけど、僕は、そして、僕と彼女の関係は、何も変わっていなかった。

 それはそうだろう。だって、僕はまだ、彼女に告白できていなかったんだから。

 僕はこういうものですと話せるものがなければ、つまり、自分に誇るものがなければ、僕は彼女に告白できない気がしていた。要は自信がないんだ。でも、どうすれば自信が持てるようになるか、僕は知らなかった。

 だから僕は、目の前にあることに一生懸命に取り組むことにした。それが結果につながるかはわからない。結果につながれば自信が持てるようになるかもわからない。自信が持てれば彼女に告白できるようになるかもわからない。だけど、目の前のことにただ一生懸命に取り組むことはできる、そう思えたんだ。

 その中でも僕が集中して取り組んだのは、美術部での活動だった。僕は自分の気持ちの全てを込めて一枚の絵に取り組んでいた。

 柔らかな光の中で、何かを求めるように視線を高く保ち、凛として立っている女性の姿。僕が描いていたそれは、もちろん、彼女をモデルにしたものだった。

 キャンバスに筆を降ろす度に、僕は思い知らされた。

 脳裏に浮かぶ彼女の瞳の輝きの強さ。そのしぐさの柔らかさ。植物の様に周囲の空気を浄化しているとさえ思えるような、活気のある立ち振る舞い。

 君はなんて素敵なんだろう。僕は君と出会うために生まれてきたんじゃない。二人の小指を結ぶ赤い糸なんて存在しない。君の横に立つことができるのは、僕ではなくて、もっと立派な他の誰かだ。

 だけど、ああ、だけど。僕は本当に君が好きなんだ。

 

 

      ◇◇◆◇◇

 

 

 線路の脇に茂る木々の葉がすっかりと枯れ落ちた初冬、思いもかけないことが起こった。

 僕の描いた絵が、つまり彼女の姿を描いた絵が、県の合同文化祭で高い評価を受けたのだ。それは文部省の品評会に出展されることになった。年明けには、なんらかの結果が知らされることになるらしい。

 ひょっとしたら、本当にひょっとしたらだけど、僕にも誇れるものができるかもしれない。

 僕の背を押してくれるものができたら、内気な僕でも彼女に告白をすることができるようになるだろうか。

 

 

      ◇◇◇◆◇

 

 

「なぁ、結局どうだったんだ。お前の絵」

「・・・・・・ああ、あれ? 審査員特別賞。最優秀賞は貰えなかったよ」

「ひょえーっ。すごいじゃん、お前。全国で入賞だろう、うちの学校でそんな奴いないぜ。なんかあっても、せいぜい県レベルだからな。おめでとう、修平。これで晴れて告白できるな、彼女さんに」

「そうか、博人がこの時間に乗るのは久しぶりなんだ。今は実力テスト期間だからね。ほら、見てみなよ・・・・・・」

 僕が目で示した先、いつもなら彼女が立っている場所には、彼女の姿はなかった。

 それは、電車の窓に寒風が絶え間なく吹き付ける、三学期の実力テスト期間だった。

 久しぶりに博人と一緒に電車に乗った僕は、あの絵の結果を聞かれたのだった。技術も何もないけれど僕の彼女への思いだけはふんだんに込めたあの絵は、全国から作品が集められる文部省の品評会で審査員特別賞を受賞していた。年明けすぐにその知らせを貰った僕は、文字通りその場で飛び上がってしまった。そんなことがあるなんて、想像もしていなかったんだ。何のとりえもない僕が描いた絵が、そんなに高い評価を受けることがあるなんて。

 博人に言われるまでもない。その知らせを聞いた次の日の朝は、僕にとっては決戦の朝だった。

 今なら言える。いや、言う。今しかないんだ。彼女に言うんだ。

 その日の僕は気合が入り過ぎていたから、傍から見たらおかしいぐらい肩を怒らせて電車に乗り込んでいたかもしれない。だけど、いつもの駅でそれから降りたときには、すっかり僕の肩は落ちてしまっていた。

 なぜなら、いつもの電車に彼女が乗っていなかったからだ。

 だけど、僕はすぐに気を取り戻すことができた。それだけ「審査員特別賞」の持つ力が大きかったという訳だ。ひょっとしたら、学校の用事があってその日は通学の時間が変わっていたのかもしれない。次だ、次に彼女に会ったその日には、きっと告白をするんだってね。

 でも、僕は自分が何も知らなかったことを、すぐに思い知らされた。

 人生というのはすごく厳しいんだ。思っていたよりもずっとずっと厳しい。学校では、人は生まれながらに幸せになる権利があるって教えているけど、きっとその幸せは自然には訪れないんだ。

 それらを僕に気づかせてくれたのは、単純にして恐ろしい出来事だった。

 つまり、年が変わってから、彼女がいつもの電車に全く乗ってこなくなったんだ。

 

 

「なるほどね・・・・・・」

「なんだよ・・・・・・」

 博人の声と僕の声との温度差は、きっとかなりのものがあっただろう。もちろん、僕に対する同情を湛えた温かな声は博人のもので、自分以上に不幸な人はいないとすねまくっている冷やかな声は僕のものだ。

「なあ、修平。俺はあんまりこの電車には乗ってなかったからよくわからんが、彼女さん、ほんとに俺らとタメか?」

「なんでだよ、博人も知ってるだろう。彼女を初めて見かけたのは入学式の日だよ。僕らとタメに決まってるじゃん」

 僕は初めて会った時の彼女の様子を思い出していた。忘れもしないそれは、去年の入学式の日の出来事だった。

「なんかそれ、お前の主観が強すぎないか。在校生は前日が始業式で、入学式はその次の日だったろうが。あの日、俺らは初めて高校に行く日だったけど、在校生にとっては二日目だぜ」

「あっ・・・・・・」

「そう、彼女さんって、先輩なんじゃねえの? それも、年が明けてから見かけないってことはさ・・・・・・」

 僕の脳が生まれて初めての速度で回転した。その結果導き出されて口から出た答えは、博人が口にしたものと全く同じものだった。

「三年生だよ」

「三年生か!」

 やっぱりと顔を見合わせた僕たちだったが、それ以上話を進めることはできなかった。僕たちが降りる駅に、電車が滑り込んでいくところだったからだ。

 ホームに降りるために車両の出入り口に向かいながら、僕は彼女がいつも立っている方に目をやった。もちろん、そこに彼女はいない。僕たちの学校でも、三年生は今年に入ってから自由登校になっていて、ほとんどの生徒は大学受験に備えて登校してこない。きっと、彼女もそうなのだろう。もう、いつものこの電車に乗ってくることはないのだろう。もう、彼女に会うことは・・・・・・。

「心配すんな、修平。大丈夫だって」

 自然と足取りが重くなった僕の背中を、バシンと博人が叩いた。

 

 

      ◇◇◇◇◆

 

 

 あれからしばらく落ち着かない日が続いたが、とうとうこの日が来た。

 桃の花の淡いピンクが車窓から見える。初春の風に揺れているそれは、僕を励ましてくれているように思える。

 僕はいつものように電車に揺られている。だけど、いつも降りている高校の最寄り駅はもう後ろだ。今日の僕の目的地は違うところなんだ。

 あの日、彼女が三年生だということに気が付いた後で、博人が教えてくれたんだ。彼女の通っている高校とその卒業式の日を。あいつはサッカー部の試合で他校に行くことがあるから、彼女が来ていた制服を元に調べてくれたらしい。

「あとは、お前次第だぜ。修平」

 そう言ってニヤッと笑ったあいつは、本当に男前だった。良い奴だよ。お前は。

 

 

 彼女の高校へと、僕は知らない道を歩いた。

 卒業式の後、彼女がいつ出てくるかはわからないけど、待てばいいんだ。待てば彼女に会えると言うのなら、それは全然苦にはならない。

 

 

 僕は知らなかった。一目惚れが、本当にあるってことを。

 僕は知らなかった。自分で誇れるものがない事がとても辛いってことを。

 僕は知らなかった。自分は特別な存在じゃない。誰かと結ばれる運命にあるわけででないってことを。

 僕は知らなかった。仮に人が生まれながらに幸せになる権利があるとしても、それがあちらからこちらに訪れてくれるものではないってことを。

 僕は知らなかった。明日は今日より良い日になるって、そんなことは決まっていないってことを。

 

 

 だけど、今の僕は知っている。伝えなければ伝わらないってことを。

 そして、今日の機会を逃して自分の言葉を彼女に伝えられなければ、僕は一生後悔するってことを。

 

 

 校門の傍らで、僕は何人もの卒業生を見送っていた。

 晴れ晴れしい顔をして、一人で校舎を振り返る人。

 涙を流しながら、友達と別れを惜しんでいる人。

 この後の予定でも話しているのだろうか、複数で楽し気に話している人。

 長い時間、僕はそこで立っていた。だけど、彼女は現れなかった。

 初めて訪れた学校だ。ひょっとして、この正門とは別に僕が知らない門があって、彼女はそこから帰ってしまったのだろうか。

 彼女はもうあの電車に乗ることはないだろう。それに、大学の合否を高校に報告に来ることはあるにしても、その日時なんてわかりゃしない。この機会を逃せば、もう彼女に会うことはできないのに。

 もう、僕は彼女に会うことはできないんだろうか。

 

 

「あ、あの・・・・・・」

「は、はいぃいっ!」

 校門から出てくる人に神経を集中していた僕は、不意に背中側から声を掛けられて、上ずった変な声を上げてしまった。

 しまった、校門の横で立ち尽くしている不審者とでも思われたのだろうか。

 慌てて声の方を振り向いた僕は、驚きで息ができなくなってしまった。

 そこに立っていたのは、彼女その人だったんだ。

「やっぱりそうだ。いつも朝の電車で一緒だった方ですよね。よかったぁ。毎日顔を見てたから、なんだかわたしの方で勝手に親近感を覚えちゃって、卒業前に挨拶ぐらいしときたかったなって思ってたの」

 僕の顔を見ながら、嬉しそうに話す彼女。

 ああ、僕が知らなかったことが、もう一つあったんだ。彼女の方でも、僕のことを知ってくれていたんだ。

「え、えと、ぼ、僕。あの、どうしても、お、お伝えしたいことがあって。きま、来ましたっ!」

 朝礼の時にもしたことがないようなしゃちほこ張った「気を付け」の姿勢で、顔を真っ赤にして話す僕。

 彼女は、始めはキョトンとしたような顔をしていたけど、すぐにあの生き生きとした笑顔になって僕を促した。

「うん、ありがとう。それで?」

 ザアアァッと、春の風が僕たちの周りを吹き抜けた。

 桃の花びらが数枚、励ますように僕の肩に落ちた。

                                   (了)