コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 第278話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。幼名は「羽」(う)。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第278話】

 それでも「母親」の心の中には、「娘に会えるかもしれない」という希望が僅かながらにしても残っていたのですが、濃青色の球体の中に理亜を取り込み、娘とは全く異なるその姿形を目の前にしたいまでは、その様なものは母親の中から完全に消えてしまい、憤り熱いが血脈となって身体中を駆け巡るようになっていました。

 これまでの長い間、地下世界という変化のない場所で自分の中の悲しみと絶望だけを見つめ続けきた結果、半ば母親はそれらの感情しか持たない精霊の様になっていました。でも、その激しい怒りの感情が彼女の凍えて鈍くなっていた心を鋭く刺激しました。自分の前で「お母さん」と呼び掛けてくる赤い髪を持つ異国の少女に、母親は「まだそんな大嘘を言うのか」と矛盾を突き、なじりましたが、そのように彼女が何かについて考えを巡らすことなどは、濃青色の球体へと変じて以来なかったことでした。

 そのような事を意図して理亜が行動していたわけではないのですが、結果として彼女は母親の中に眠っていた感情を揺り起こし、人間としての意識を取り戻させていました。

 相変わらず、母親の身体と魂は濃青色の球体という不思議な存在に変わったままですし、理亜や王柔、それに羽磋は、その球体の内部に飲み込まれたままです。でも、その球体の内部で理亜と向き合っている母親の意識体は、その姿こそ通常の人間を何倍も大きくしたような異様な姿ではありましたが、それが彼女に向かって投げつける言葉の礫は、「血の通った人間の叫び」になっていました。

 理亜が「母親」に対して「お母さん」と呼びかけるのが正しいのかどうかはわかりませんが、そのことによって「母親」の意識が精霊の世界から人間の世界へ呼び戻されたということは、間違いがありませんでした。それが無かったとしたら、如何に羽磋と王柔が母親の過去を追体験してこの濃青色の球体内部の世界に馴染んだのだとしても、母親の姿を人間の姿として捉え、その言葉を人間の言葉として聞き理解することは、とてもできなかったことでしょう。

 濃青色の球体の内部世界は、もちろん、現実の世界とは異なっています。そこは母親の意識の世界であり、彼女の苦痛と悲しみと絶望が、何度も何度も思い返されている世界でした。その世界へ取り込まれた羽磋と王柔は、川の上に掛かる枝から落ちて水に流されるしかない木の葉のようでした。母親が思い出す辛い過去の記憶を、与えられるがままに追体験するしかありませんでした。でも、その経験により、彼らがこの世界に馴染むことができたのも事実でした。

 それに加えて、理亜が発する言葉によって母親自身の意識が精霊界から人間界へと近寄ってきていましたから、彼らもこの球体内部の世界に自分の力を伝えることができるようになってきました。

 これまでの羽磋と王柔は濃青色の球体の内部世界を吹き荒れる暴風に煽られて空中を流されていましたが、いまの二人はゴビの大地に両足をつけて立っていました。それは、この母親の意識世界に、彼らの日常の世界、すなわち自分たちが活動できる世界はこれだと言う意識が、ゴビの大地と言う形になって反映されるようになったためでした。

 いま彼らの目には、濃青色の球体内部は彼らが見慣れたゴビの荒れ地に見えていました。太陽が発する強い日差しを遮るものは何もなく、絶えることのない風が乾いた大地から赤茶色の砂を巻き上げながら通り過ぎていきます。離れたところに小さく見えるのは、土造りの壁と屋根。それらは月の民が根拠地としてつくる村の一部のように見えます。

 ゴビの赤土が広がる地面はどこを見てもほとんど変わりがないように見えますが、遠くの村の方からこちらの方へと、周囲とわずかに異なる色合いの筋が続いています。どうやらそれは、遊牧の民や交易の者などが何度も歩いたことで少しだけゴビの表土が削り取られてできた道のようでした。

 道の真ん中で赤い髪をした小さな少女が大きな声を出しています。村を背にして立ち、その少女に覆いかぶさるように両腕を振り上げているのは、どれだけ長い間着ているのかわからないほどボロボロになった衣服を辛うじて身につけ、元の白色がわからなくなるほど赤土で染まってしまった頭布を髪に巻き付けた、大人の何倍もの背丈もある女性でした。

 同じように濃青色の球体に飲み込まれてはいたものの、これまでは理亜と母親がいる世界と羽磋と王柔がいる世界は同じではないようでした。でも、ここに来てようやく、二人は理亜に追いつくことができたのでした。

「お母さん、あたしダヨ。やっとここまで来たんダヨッ!」

 これまでよりももっと明確に、理亜の声が二人の耳に届きました。

「何を言うっ! ああっもう良いっ! たくさんだっ!」

 そして、理亜に対する母親のいらだった叫びや、言葉に込められた憤りの感情、それに、空気をビリビリと震わせるほど母親の身体全体から発せられている怒気も、これまでに感じていたものとは比べ物にならないほどの熱量で、二人の身体に伝わってくるのでした。