年末年始の休暇に当たるからか、美術館の館内は、とても多くの客で賑わっている。
もちろん、ここは落ち着いて絵画や彫刻を鑑賞するために多額の費用と労力をつぎ込んで作られた場所だから、賑わっていると言っても下町の商店街のような生命力に溢れた騒々しさがあるわけではない。品の良い服に身を固めた上流国民と思しき方々が、わかったよう顔をしながら密集していらっしゃるということだ。
ヒソヒソ。ナニヤラ。ヒソヒソ。
流石に一度つり革を握ったらその手を降ろすのが困難な通勤電車内ほどではないが、その電車から降りた客で溢れているプラットフォーム上ほどには、館内は混雑している。これだけ多くの人が集まっているというのに、館内に静けさが保たれているというのは、ここにいる一人一人がマナーを守って大きな声を出すのを控えているからだ。まったく、素晴らしき協調性だ。
しかし、いくら休日が続く期間とは言っても、通常はこの美術館がここまで混みあうことはない。実は、今年の年末年始は特別で、何とかという有名な作者が描いた何とかという有名な絵を海外の美術館から取り寄せ、もともとこの美術館が所蔵している絵と合わせて、特別展覧会として公開しているのだ。
たくさんの人が集まる機会としては、有名な歌手のコンサートや人気スポーツの試合も考えられる。だが、それらと美術品の特別展示会とでは、明確な差異がある。
もちろん、俺は絵画や彫刻などの金持ちの道楽には全く興味が無いのだが、以前からその大きな差異には着目していた。だから、自分の住む都市にある美術館が、世間から多くの注目を集めるような特別展示会を行うと聞いて、身震いしたのだ。やっと、待っていた機会が訪れたのだと。
◆◇◇◇
順路に従って流れる人の群れに紛れて、ゆっくりと館内を奥に進む。目的の場所である特別展示室はまだ先だ。
退屈しのぎに左右の壁に掛けられている絵に視線を走らせるが、どうして皆がそれらの絵をありがたがるのか、さっぱりわからない。確かに綺麗に人物や風景を写し取った絵はあるが、いまでは写真や動画もあることだし、その様な技法は必要とされていない。ましてや、子供が描いたようなバランスの取れていない人物画や、無意味に形や色を殴り書きしたとしか思えない絵には、何の意味も見いだせない。
こんな無駄なものに金と労力をかけるなんて、全く馬鹿げているとしか言いようがない。世の中にはもっと目を向けなければいけない大事な問題が、たくさんあるというのに。それを解決するために活動する事や、それに気づいていない人たちを啓蒙することの方が、どれだけ大切であるか。
俺は自宅を出てからここまでの道のりを、ぼんやりと思い返した。
自宅を出たとたんにドライアイスのように冷たい風がビュウッと吹き付けて来て、子供みたいだなと思いながらも、ダウンジャケットについていたフードを被って頭と耳を守らずにはいられなかった。天気予報によると、季節外れの強い寒気が訪れているそうだ。最近、この言葉を何度口にしたことか。「異常気象」だ。
その一方で、道中に利用した地下鉄の車内はむやみやたらと暑く、他人から迷惑そうな視線を浴びせられながらも、ゴソゴソとダウンジャケットのポケットからハンカチを取り出し、しきりに顔と首筋を流れる汗を拭かなければならなかった。
とある事情から、俺はダウンジャケットを脱ぐ訳にはいかなかった。だけど、こんなにも外が寒いのだから、地下鉄に乗り込んでくる客が防寒対策のために厚着をしているだろうことは、首の上に頭が乗っている人間ならば直ぐにわかるはずだ。それなのに、乗客で込み合う車内の暖房を切らないのだから、これは車掌がわざとやっているとしか思えない。
きっと、エネルギーを意識して無駄に使用することで、国民から電気料金やら税金やらをむしり取る構図ができ上っているのだろう。政府や大企業は、みんな結託していやがるからな。
そう言えば、この美術館の内部は、空調が効いていて快適だ。だが、これもおかしい。
美術館内の温度や湿度が一定に保たれているのは、そこを訪れる人間の為ではなくて、展示や保管をされている美術品の為だという話を、聞いたことがある。人間の為ではなく、物の為、それも、意味の分からないくだらない物の為に、暑い夏には館内を冷やし寒い冬には温めして、せっせとエネルギーを消費しているのだ。
ああ、どいつもこいつもっ。
感情が昂ってきたのを自覚した俺は、ポケットに入れていた右手を出してダウンジャケットの上から左胸を押さえた。右手に伝わってくるのは、内ポケットに入れた手帳ほどの大きさの紙シートの感覚。
もうすぐだ。だから、ここは落ちつけっ。
俺の心が震えているのは、怒りの為か緊張の為か?
いずれにしても、右手から伝わってきた確かな感覚は、それを抑えるのに役立ってくれた。
ふぅっと息を吐くと、俺は緩やかに進む人の流れに身を任せることにした。
◇◆◇◇
海外から取り寄せた絵を中心にした特別展覧会の会場は特別展示室とのことだったが、それは明確にドアや壁で区切られた一室ではなかった。美術館の二階は、中央部分に設けられた一階との吹き抜けを利用して、北側、東側、そして、西側に展示スペースが区分されている。細長く広がる東西のスペースを回り最後に向かうのが、広々とした正方形に近い造りになっている北側のスペースだ。特別展覧会はその北側スペースで行われているのだ。
カタログによると、この美術館の収蔵品の目玉も、やはりその有名な芸術家の絵だ。多作であった芸術家の絵、もちろん、何とかという有名な絵ではないが、その他の絵を何枚か所蔵していて、その北側スペースで常時公開している。そのため、その芸術家、ああ、そうだ、カタログにはミレーとある芸術家の名前を取って、そのスペースをミレー館と呼んだりもしているのだそうだ。今回は、そのミレー館の一番奥に海外の美術館から取り寄せた絵を、そして、周囲の壁には自館所蔵のミレーの絵を掛けて、それぞれの絵が描かれた背景の解説と共に展示しているのだ。
ようやく俺は二階に上がれたが、東西のスペースではゆっくりとではあるが割と一定の速度で進んでいたのに、特別展示室、つまり、ミレー館が近づくにつれて、人の動きが急に不規則になりだした。
幅が広いとはいえ通路のようになっている東西スペースから、急に広々としたミレー館内に入ることに加え、そのスペースの左右の壁や手前側の壁でもミレーの作品が展示されていることから、真っ先に一番奥で特別展示されている絵に向かう者、製作年に従って整理されている絵を順番に見て行こうとする者、スペースの中央に置かれている布張りの腰掛けを使って休憩しようと考える者などが、入り口でそれぞれに動き出すことで小さな混乱が生じているのだ。
ここまでかなりの時間を掛けて進んできた俺は、ミレー館の直前でさらに待たされたのだが、たいして腹は立たなかった。ここまで来たら、焦っても仕方がない。それよりも、迷わず行動できるように、心を落ち着ける方が大切だ。
しばらく待たされた後にやっとミレー館の中に入れた俺は、それぞれ目的のものに向かって歩き出す周りの人たちに注意しながら、ゆっくりと奥に向かった。まずは、目的のものである海外から取り寄せた作品、カタログによると「落穂拾い」という題名の絵がどのように展示されているかを確認したいと思ったのだ。
ミレー館の一番奥では、一面全体を使って、額縁に収められた二つの絵を展示していた。
壁面から一メートルほど離れたところに、数本のベルトパーテーションが立てられていて、そこか引き出されたベルトが、観客と展示品を区分している。壁際の出口に近い側には警備員が一人立っていて、反対の壁際には、ここの学芸員だろうか、ネームプレートを首から下げた女性が、折り畳みの椅子に座っている。
ベルトパーテーションはもう一列、観客の後ろ側にも設置されている。ミレー館では各壁面に掛けられている作品を、客が思い思いに楽しむことができるようにされているのだが、さすがにこの作品には一度に多くの客が集中するのが見込まれるので、二つのベルトパーテーションの列で通路を形作って、作品の前で人が長い時間留まらないようにしているのだ。
奥の壁面の前からできた列は学芸員が座る角で曲がり、別の壁に沿うようにして伸びているが、これはもう仕方がない。俺も作品を近くで見てみるためにその列に加わることにした。
黙って並んでいれば、列は少しずつ前に進む。前の人から離れないように、後ろの人に押されないようにしながら、俺も一番奥の壁面の前に出た。
二枚の絵のうち、壁面の中央に掛けられている方が、今回の主役のものなのだろう。
縦一メートル弱、横一メートル強の油絵。描かれた場面は夕方なのだろうか、穏やかな光の中で三人の農婦が畑で何かを拾っている。確かに綺麗な絵ではある。上手だ。だが、それ以上の感想はないな。
少し離れたところに掛けられているもう一枚の絵は、中央の絵の半分以下の大きさで、こちらは縦長の油絵だ。この二点の絵を並べて掛けている理由は、門外漢の俺にもすぐに分かった。こちらの絵にも中央の絵と同じように、三人の農婦が畑で何かを拾う様子が描かれているのだ。この二つの絵が同じモチーフで描かれているので、それを比較しようというのだろう。ほら、カタログに載っているこの絵の題名からもそれがわかる。この小さな方の絵は「落穂拾い、夏」というのだ。
絵画には全く興味のない俺でも、このように同じモチーフで描いた作品を並べられると、両者の違いを見つけて比較してみたくなる。
俺は二つの絵の前を行き来しようとしたが、それをするには観客が多過ぎた。仕方なく何度も首を振って両者を見比べようとしているうちに、上手の学芸員が椅子から立ち上がり、観覧待ちの方が並んでいるので前へ進むようにと、絵の前で足を止めている観客に促した。もっと観たい方はもう一度列の後ろに並べば良いと言われれば、マナーを守る上級国民観客がそれ以上その場で頑張るはずもない。動き出した人の流れに逆らうこともできず、俺も一度絵の前から退くことにした。
ミレー館の出口はこの「落穂拾い」が展示されている一角の横にあったから、多くの観客はそこへ向って行く。だが、俺はもう一度「落穂拾い」を観ようと室内に留まる観客の方に混じっていた。
まだ、目的を果たしていないのだからな。
俺は「落穂拾い」が展示されている一角での人の流れや、そこにいる警備員たちの動きを確認できるように、壁に掛けてあるその他の絵を見る振りをしながらブラブラと歩き、少しそこから距離ることにした。
なるほどな。
「落穂拾い」の前にベルトパーテーションで設けられている通路、どうしてもみんなが絵の前で立ち止まるから、学芸員が声を掛けた時に人が流れる、次にそこに新しい人が入って来て段々と滞留する、ということを繰り返している。と言うことは、俺が目的を達成するには、学芸員が声を掛けて俺の前の人たちが動いてスペースを空けた時、そこに人が溜まる前の瞬間に、警備員に怪しまれずに絵の前に居る様にしなければいけないのだな。
よしよし。では、一通りここにある絵に目を通してから、最後にあそこに戻るとしよう。ミレー館には同じ作者の絵が幾つも展示されているらしい。ここに入って真っ先にあの絵のところに行って他の絵はまだ見ていないから、それを全く無視するのも不自然だろう。
これからの行動を決めると、俺は展示されているミレーの作品の前をゆっくりと回り始めた。
それにしても、同じような色彩の絵ばっかりだな。種をまいている農民や羊を連れた羊飼いの絵、それに、鶏に餌をやっている女の絵。どれも、夕暮れのもやっとした薄明かりの絵だ。まったく、暗いというかなんというか。
「お、これはちょっと違うな」
つい考えを声にしてしまったのは、縦に細長い絵の前に来た時だった。
絵と共に掲示されている題名を見ると、「無原罪の聖母」と記されていた。
この絵は、他の絵と同じような落ち着いた色調ではあるが、そこには他の作品とは比べ物にならないほど明確に、光が、明るさが、描きこまれていた。
なぜだろうか。「聖母」、というからには、マリア様だろうが、他の絵との違いはモチーフが違うからなのだろうか。それとも、俺には意味が良くわからないが、題名の前半の「無原罪」と言う方から来ているのだろうか。
この絵に少し興味を持った俺は、足を止めてよく見てみることにした。
頭の上に光の環が描かれているのは、やはり、聖母マリアの霊的なものを表しているのだろうな。マリア様自体は、この作者の画風なのだろうが、普通の女性とさほど変わらない清楚だけど簡易な服を着ていて、表情もおとなしい。動きがあるのは足元だけど、この踏みつけている白いものは何だろう。何かの骨? 牙? 宗教的に何らかの暗喩があるのかもしれないが、それに興味が無い俺には伝わってこない。
まあ、良いか。ここで会ったのも何かのご縁だ。
いまの俺のお守りに等しい内ポケットの紙シートの存在を確かめながら、俺はマリア様の絵の前で目を閉じた。
これからの一大イベントが上手くいきますように。
そうだ、そもそも、それは地球の為にやることだから、神様の為とも言えるのじゃないか。
お願いします。マリア様。俺をお守りください。
この後、俺はもう一度特別展示の「落穂拾い」の前に戻ります。あの前には観覧待ちの列ができていることは、さっき確認しました。列に並んでいる間に俺はダウンジャケットの前を開けて、内ポケットから紙シートを取り出しておきます。ちょうど手帳サイズのシートですから、他人が気にしたとしても、精々メモを取るために手帳を準備したのだと思われるぐらいでしょう。
でも、もちろんこの紙シートは手帳なんかじゃありません。超強力瞬間接着剤が両面に塗られている工業用のシートです。「落穂拾い」観覧の順番が進むのに合わせて、俺は裏面の剝離紙を剥がしたそれを左の手の平にくっつけておきます。そして、学芸員が絵の前に固まっていた人に声を掛けて、観客を入れ替えようとする時を見計らって、素早く絵の前に飛び出すのです。
そう、もう一面の剥離紙を剥がしたシートごと左手を「落穂拾い」に押し付けるのなんて、何秒も掛かりません。
もちろん、周囲は大騒ぎになるでしょう。俺を絵から引き剝がそうとする人も出てくるかもしれませんが、その場で絵と俺を傷つけずに引き剥がすことなんて不可能です。頑張って俺の身体を引っ張って見ても、ダウンジャケットが千切れて、その下から「地球を守れ!」、「炭素排出不可!」、それに、「原発反対!」と、大きく記したシャツが現れるだけです。
そうして十分に人目を引きつけたら、俺は馬鹿どもに言ってやります。
「こんなくだらないお絵描きに金と労力をつぎ込む前に、もっとやらないといけないことがあるだろう! 環境を守れ! 炭素排出を止めろ! 地球は泣いているぞ! 原発も全廃だ!」
◇◇◆◇
「貴方、ねぇ貴方」
「はい?」
目を瞑りマリア様にお願いをしていた俺の耳に、如何にも「呆れました」というような女性の声が聞こえて来た。
誰だ、こんなマナー違反を犯すような輩は。ここに居るのは、粛々と決まりごとに従う上級国民の皆さんだけのはずだが。
「私です。貴方の目の前にある絵。無原罪の聖母と名付けられたものです」
直接頭に響くような、さりとて、右の耳からも左の耳からも聞こえるような声と共に、目の前に掛けられた絵からマリア様の姿がスルスルと抜け出してきて、まるでディズニーアニメのキャラクターのように宙に浮かんだ。
「何だ、これはっ!」
思わず大声を出してしまった俺は、慌てて口を両手で塞ぐと共に、左右を見回した。ここで騒ぎになれば、せっかくの計画が台無しになってしまうからだ。
だが、周囲の人たちからは、何の反応も返ってこなかった。それはそうだろう。誰かが一時停止ボタンを押しでもしたかのように、皆がその場で動きを止めているのだ。
時間の流れから自分だけがはみ出してしまったようなこの状況は、とんでもなく信じがたいものだが、周囲の状況を少し見ただけで俺はそれを受け入れてしまった。不思議なことなのだが、起きている以上、そうなのだろうと。
「ねぇ、貴方。本当にそれをやるつもりなのですか」
俺の目の前の空中に浮かんでいるマリア様から、声が聞こえた。絵から抜け出してきたマリア様は、まるで風に吹かれて揺れる短冊のように、ひらひらと身体を揺らしたり、くるりくるりと回って線のように細くなったり後ろを向いたりしている。
まさか、俺の願い事が通じてマリア様が現れたとでもいうのか。だが、そう考えるのが、一番筋が通るような気がする。
俺が頭の中で話しかけていた内容を知っているような口ぶりに、自然と俺の口調も合わさっていった。
「もちろんですよ。現代の人類が酷く堕落していることはマリア様も良くご存じでしょう。従前からある戦争や飢餓の問題は一向に解決されていませんし、最近は、環境破壊の問題も酷い。人類が排出する二酸化炭素による温暖化で、産業革命以降に世界の平均気温は約一度上昇しているのですよ。近年は異常気象が頻発していて、このままでは、地球全体の自然環境に取り返しのつかない被害が出るかもしれません」
「なるほど、それを防ぐためだと、おっしゃるのですね」
「そうです。世界全体で行われている環境破壊は、実は一握りの上級国民たちが自分たちの利益しか考えずに行動しているせいなのです。だから、その上級国民好みのイベントで、それを訴える機会を狙っていたのです。コンサートやスポーツの大会なども注目度は高いけれど、個人の観客がそこで主義主張を訴えることは難しい。だけど、このような美術品の特別展示会だと、展示品そのもののすぐそばに行けるので、注目を集める事案を起こしやすいのです」
「確かに、過激な環境活動家が美術品を損壊したりするような事件は、何度も起きていますね」
ヒラリヒラリと回転するマリア様。それだけでなく、全体の大きさが、大きくなったり小さくなったりもしている。言葉のニュアンスもそうなのだが、あまりこちらの言葉に注意を払われていないような気がしてきた。
俺は、自分の言葉になお一層の力を込めた。
「貴方も神様なのでしょう? だったら、わかるでしょう、マリア様!」
「うーん、私は・・・・・・、どうなのでしょう。無原罪の聖母。原罪の定義は色々とありますが、人類の祖であるアダムとイブから引き継いだ神への不従順ともされています。それが、遺伝で後世に引き継がれているのか、そもそも人間の本性なのかは明確ではありません。私は聖母であるからには、神の子イエス・キリストを産むわけです。その私が原罪を背負った者であってはいけないので、無原罪の聖母とされた。でも、人類がすべからく原罪を背負っているものであるなら、無原罪のマリアは人ではないことにならないかしら。それに、イエス・キリストは人から生まれることにも意味があるのでなかったかしら。もっと言えば、無原罪の女性は罪深い人間の子として生まれて良いのかしら・・・・・・」
「マリア様、マ、リ、ア、サ、マ!」
駄目だ、明らかに俺の話を聞いていない。俺はできるだけの大声で呼びかけた。
「どっちでもいいですよ、そんなの。こんな不思議な力を持っているのだから神様なのでしょう? 人類がまた大きな罪を犯そうとしているから、それに俺が警告を与えようというのです。協力してもらえますよね!」
「ん、ああ。まぁ、貴方たち縦横高さの三次元世界の者からしたら不思議な力を、私が持っているのは確かですね。私たちは『想いや願いの強さ』と言う次元に属しています。この次元は貴方たちの属する縦横高さの概念はないから、ほら、こんなに自由自在」
そう言いながら、絵から飛び出していたマリア様は、消えたと思うほどの極小から天井につくかと思うほどの極大まで、素早くその大きさを変化させた。
「次元の組み合わせはいろいろだし、何が上位で何が下位かもほとんどの場合定まっていない。不思議なもので、貴方たちの三次元世界にも時間やベクトルなどの他次元も入り込んでいて、貴方たちもそれに影響を及ぼすことができている。物を押せばそこにベクトルが生じるし、文字を起こせば思いや事象を後世に残すことができる。私たちも、貴方たちが与えてくれた思いや願いが形になった他次元の存在。そこに善悪と言う次元を加えれば、神や仏、悪魔や鬼ともなる。ここで私を想いや願いと言う力を持ち、いわゆる一般的な善悪で言う善の思考を持つ存在として捉えると・・・・・・、貴方を助けることはできません」
てっきり自分を助けてくれると思ったのに、マリア様の答えは俺を驚かせた。何だろう、この人、いや、神様? マリア様? なにもわかっちゃいない。
「ど、どうしてですか。人間が自然環境を破壊しているのは間違いないじゃないですか。地球がいま大ピンチなのですよ!」
「確かに近年の人間の行いによって、生物分布や気候に対して大きな影響が与えられていることは明らかです」
「だったら、どうして?」
勢い込む俺の目の前に、マリア様の顔がニュッと大きくなって接近してきた。
「増えすぎた生物が他の生物に影響を与える。また、自らの行いによってその数を減らし、時には絶滅する。それらも自然の一部です。気候の変動にしても、地球が生まれたからのことを考えると、いまよりも高い時もあれば低い時もありました。けれど、どの気温の時も地球は地球であり続けたのです。宜しいですか? あなたは『地球は大ピンチ』だとおっしゃいますが、決してそうでは無いのです」
「で、でも・・・・・・」
「大ピンチなのは、『地球』ではありません。貴方たち『人間』なのです。ここ数千年で築き上げた人類文明にとって都合の良い環境・気候が変動しようとしているだけなのです。貴方たちにとって極端な言い方をすれば、それが進んで地球上から人類が一掃されようとも、地球にとっては何の問題も無いのですよ」
恐ろしいことを冷静な口調で話すマリア様。しかし、であればどうして俺に話しかけてきたんだ。俺を助けてくれるためでないのか。いや、そうか。俺を諫めようというのか。
「いいえ、そのどちらでもありません」
俺の顔に接するように近づいていたマリア様の顔が、少し遠ざかった。
まるで俺の心の中を読んで話すかのように言葉を繋ぐ彼女の姿が、また、大きくなり小さくなりと変化を始めた。
「貴方が汚そうとした絵画は、ミレーと言う作者が心血を注ぎこんで創り出したものです。それはわかりますね。そして、その題材とされた『落穂拾い』ですが、これは聖書の『貧しい者が刈り取りに漏れた小麦の穂を拾うのを妨げてはならない』と言う記述を基として、当時の農村社会で行われていた慣行です。つまり、弱者救済の願いが込められたモチーフなのですが、貴方の行為はそれをも汚すものです。さらに、貴方は地球の為に環境破壊を食い止めるなどと思い上がった発言をしましたが、自分たちや自分たちの子孫の為により良い環境を保とうと願うこと自体は、生き物にとって自然な行いです。貴方の極端な行為は、『環境保全運動』全体に対する印象を悪くして、ごく自然な環境保護を行う人の願いを妨げる、非常に悪質なものです」
俺の計画の問題点をつらつらと並べ立てるマリア様は、大きさに続いて、その外見がぼんやりとしたりはっきりとしたり、女性のように見えたり男性のように見えたりと、激しく変化をするようになった。
「で、では、俺の計画は間違っていると、そうおっしゃるのですか」
「貴方の持つ善悪で測るのでなく、一般的な善悪を基準として用いるのであれば、貴方の計画は間違っています。そして、多くの人の願いや想いの集合体とも位置付けられる私は、一般的な善悪の基準に従っています。貴方の計画は、作者であるミレー、神や社会福祉家、そして、環境保護を善意で願う者、これら三者の願いや思いを無視する、卑劣でエゴイスティックなものです」
再度、マリア様の姿に戻ったそれにはっきりと言い切られた俺は、下を向かざるを得なかった。
成程、耳が痛いが、確かに彼女の言う通りなのかもしれない。「地球の為に」なんて大きな看板を掲げたせいか、あまりにもそれ以外のことを無視し過ぎた。もともと、異常気象で作物の収穫量が減り、飢餓が進むことも心配していたのだが、まさか「落穂拾い」の絵が貧者救済の慣行を描いたものだったなんて、まったく気が付いていなかった。
ああ、俺は大きな間違いを犯すところだった。ここで止まることができて良かった。
自分の考えを訴えるにも、他の方法はいくらでもあるだろう。もう一度、よく勉強して出直そう。
「ありがとうございます。俺が間違いを犯すのを止めてくれたのですね・・・・・・て? お、鬼?」
マリア様の言葉を噛みしめながら顔を上げた俺が目にしたのは・・・・・・、鬼の姿だった。
鬼? 節分に出てくるような角をはやして赤い顔をした鬼が、何故?
「ほう、俺が鬼に見えるか。ふん、お前の魂は、もうわかっているようだな。勘違いするな。お前のためを思って止めたわけではないわ。我々は人々の想いが集まってできた存在だと言ったが、特に我はミレーの絵に寄せられた気高い想いが集まった存在。そこにお前が穢れた呪いのようなものをぶち込んできたのだ。俺が出てきたのは、それを払うため、そして、俺が鬼に見えるのは、お前の魂が俺を恐ろしいものとして感じているためだ」
「いや、え? 悔い、改めます? いえっ! 反省してます! 今後はこのようなことは決していたしません!」
「お前の今後など、興味はない。不愉快だ。消えろ」
「あっ」
プチン。
◇◇◇◆
今年の年末年始の期間は特別で、この美術館のミレー館と呼ばれるスペースで、海外の美術館から取り寄せたミレーの有名な作品、刈り取りの終わった小麦畑で農婦が落穂を拾う姿を描いた「落穂拾い」を、自館が所蔵している同じモチーフでミレーが描いた「落穂拾い、夏」と一緒に展示している。
特別展示作品の前には多くの人が集まって、仮に作られた順路に従って観覧をしているが、広い面積を有するこのミレー館には、その他にも自館が所蔵するミレーの作品が複数展示してあって、観客の目を大いに楽しませている。
そして、ミレー作品の中では比較的明るい色調でモチーフの聖性を強調している作品「無原罪の聖母」も、楽し気に、あるいは、興味を隠し切れない表情で絵画を覗き込む人たちを、静かに見守っているのだ。
(了)
(著者注)
・表題の画像は、フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーの作品「落穂拾い」(1857年)(パブリックドメイン)です。現在はオルセー美術館所蔵です。
・本作では、山梨県立美術館様のHPを参考にさせていただきました。同美術館は「ミレーと出会う美術館」と打ち出して、本作中で出てくる「落穂拾い、夏」、「種をまく人」、そして、「無原罪の聖母」等のミレー作品を所蔵してらっしゃいます。
山梨県立美術館 | YAMANASHI PREFECTURAL MUSEUM of ART
・「無原罪の聖母」の前で良からぬ事を考えても「プチン」とされることは無いと思いますが、未確認です。
・本作はフィクションであり、特定の団体や人物とは一切の関係がありません。