コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

【閑話】 オノマトペ(擬音語)「パリン」

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1.はじめに

「眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー」3月のテーマは、「擬音語(オノマトペ) パリン」であった。

 パリン・・・・・・、何かが割れるときの音か? オノマトペ・・・・・・聞いたことのある言葉ではあるが、あまり詳しく理解しているとは言い難い言葉だ。

 せっかくの機会をいただいたので、本稿では、「オノマトペ」、中でも「パリン」という言葉を旗にして、それを振り回しながら、ブラブラと日本語の野道を散歩することにしたい。脇道にそれる事が多々あると思われるが、ご容赦願いたい。そもそも、散歩とは、脇道にそれることが楽しいのではないか。

 なお、本稿において、意見や解釈に関する部分は、すべて筆者の個人的なものであることを、お断りしておく。

 さあ、出かけよう。もうすでにこの項の中にも、オノマトペが紛れ込んでいる。なかなか、楽しい散歩になりそうではないか。

 

2.オノマトペとは

 オノマトペとは、「デジタル大辞典」によると次のように定義されている。

「オノマトペ(<フランス>onomatopee)  擬声語及び擬態語」[1]

 擬声語とは、動物の言葉や物体の音響を音声によって表した語[2]で、犬の鳴き声を表した「ワンワン」や、物が壊れる音を表した「パリン」がこれに当たる。また、擬態語とは、物事の状態や身振りなどの感じをいかにもそれらしく音声にたとえて表した語[3]で、不安定な状態を表した「グラグラ」や、じっと見る様子を表した「ジロジロ」がこれに当たる。

 上記の説明文で幾つかのオノマトペを紹介しているが、簡潔なオノマトペ本体に比べて、それが表している物事の説明は長くなっている。つまり、オノマトペとは、物事の動きによって生じた音を、あるいは、物事の状態や人物の動作を、特定の音で表すことによって、それが表しているものについての情報を、簡潔に相手に伝えるために用いられる言葉だ、と考えることが出来る。

 

 我が国において、オノマトペ研究に先鞭をつけたのは、江戸時代の国学者、鈴木朖(1816/1972)である。彼の著作「雅語音声考」はオノマトペ研究の著作で、この中でオノマトペは「鳥獣虫の声を写せる音」、「人の声を写せる音」、「万物の声を写せる音」、「万物の形、有様、意、しわざを写せる音」の四種類に分けられている。[4]

 ・鳥獣虫ノ聲ヲウツセル言

  郭公のホトトキ、鶯ノウクイ、薙の羽ウツ音ヲホロホロ、鴉ノカラ等

 ・人ノ聲ヲウツセル言

  吹ノフ、吸ノス、咬ムノカリカリ、呑ムノガブガブ、吐ノパット等

 ・萬物ノ聲ヲウツセル言

  サヤグソヨグのサヤソヨ、騒グノサワ、轟クノトドロ、タタクノタタ等

 ・萬物ノ形有様意シワザヲウツセル言

  明、赤、有、有有、鮮ノア、雲、曇ル、隅、潜ル等

 

 まず、面白いのは、郭公の声がホトトキと表現されているところである。郭公はカッコウであってホトトギスではないのではないか? 調べてみると、現在では郭公は「カッコウ」(カッコウ目カッコウ科)の漢字表記であるが、平安時代にはこの字がホトトギス(カッコウ目カッコウ科)の漢字表記としても使われていたのだ。[5]  

 これは、どういういうことだろうか。同じカッコウ目カッコウ科に属する鳥であるし、当時は「カッコウ」と「ホトトギス」を区別せずに、どちらも「カッコウ」として扱っていたのだろうか。あるいは、郭公という漢字に、当時は「カッコウ」と「ホトトキス」と二つの読み方が存在したのであろうか。その場合は、どちらで読むのかどのように区別をしていたのであろうか。しかし、おそらくは「カッコウ」の泣き声を語源として「郭公」という漢字表記が成立したと考えられ、そこに「ホトトキ」というオノマトペが付くことに、鈴木は疑問に感じなかったのだろうか。

 なお、現在でも、ホトトギスの漢字表記は「杜鵑」、「不如帰」など複数のものがある。また、ホトトギスの鳴き声は「キョッキョッキョキョキョ」という鋭い声で、「テッペンカケタカ」「特許許可局」などと聞きなしされるそうだ。[6]

 「ホトトキ」にこだわってしまったが、おそらく息を吹くときの音「フー」、逆に吸うときの音「スー」が、オノマトペとして表されていること、物事が明らかな様を表すオノマトペとして「有有」が記されているのも面白い。

 

 いきなり、散歩が脇道に大きくそれてしまった。

 

3.言葉とオノマトペ

「2.オノマトペとは」で、オノマトペは擬声語及び擬態語だと述べた。つまり、オノマトペとは言葉の一形態である。

 児玉徳美(1935)は、その著書「ヒト・ことば・社会」の中で、言葉についてこのように述べている。

「言葉とは現実世界の必要なあらゆる情報を記号化しうる点でコミュニケーションの道具である。同時に言葉は人間の認知の道具であり、人間が世界をどう把握するかにかかわり、人間の思考や意図の基礎にある。言語がどのように認知や思考にかかわるかを理解するためには、言語がなぜ今の姿をしているかの問題を解く必要がある。」[7]

 オノマトペは、それが表しているものの情報を簡潔に相手に伝えるために用いる語であることから、まさにコミュニケーションの道具である。しかし、オノマトペは、物事そのものを表す名詞や、動作を表す動詞、物事の性質や様子を表す形容詞とは明らかに異なり、「パリン」(物が割れる音)や「カーン」(硬いもので軽いものを打つ音)等のような短い音節での表現や、「のろのろ」(動作や進行が遅い様子)や「ぬめぬめ」(油などで表面がねばねばしている様子)等のような、単純な音の繰り返しによる表現が、特徴的である。

 この点について、小林英雄(1933)は、オノマトペを次のように分類している。[8]

(1)語音をもって自然音を写そうとしたもの。写される内容も写す手段も共に音響世界である。擬声語、擬音語。

(2)ある種の態度を自然音に相当する語音をもって、類推的に写したもの。擬態語、擬容語。

(3)ある種の状態を自然音とは何ら対応するところなき語音をもって示したもの。符号、符牒。

 先程の例でいえば、「パリン」、「カーン」は(1)に、「のろのろ」、「ぬめぬめ」は(2)にあたるだろう。(3)は例を挙げるのが難しいが、「ほんのり」(感じられる変化がわずかな様子)はどうだろうか。なお、小林は「ヤカマシイ」をあげているが、この語は「日本語オノマトペ辞典」[9]には収蔵されていない。

 言葉とは、コミュニケーションの手段である。それゆえ、コミュニケーションを取ろうとする人間の背景に、それが持つ意味についての共通の認識が存在している必要がある。

 例えば、コミュケーションを取ろうとする相手に、二人の間に置いてあるいくつかの果物の中から、「リンゴを取ってください」と頼んで、ミカンが手渡されたとしたら、それは「リンゴ」という言葉に対しての認識が、共有されていなかったということである。言い方を変えれば、そこに置いてある果物のいすれが「リンゴ」で、いずれが「ミカン」なのか、その認識にずれがあったということである。

 また、「リンゴを取ってください」と頼んで、相手がリンゴを食べてしまったとしたら、自分は「取る」という言葉に「手渡す」という認識を込めたにもかかわらず、相手は「取る」という言葉から「食べる」という認識を引き出したということである。

 このように、コミュニケーションを取ろうとする範囲において、その言葉の意味についての認識が共有されていなければ、言葉をコミュニケーションの道具として用いることはできない。

 オノマトペも他の言葉も、コミュニケーションの道具であるから、その目的は変わらない。そして、その目的の達成のためには、コミュニケーションを取ろうとする範囲において、その持っている意味についての理解の共有が必要だ。

 (1)の擬声語、擬音語は、もともとの自然音を語音に写したものであるから、意味についての共有は容易だろう。この言葉はこれ以上変化しない方が、自然の音から離れないので、よりよく機能するだろう。

 (2)、(3)については、もともとの態度・状態には自然音がない。それを語音を持って表そうというのであるから、理解の共有化のためには、できるだけ単純な音を用いるのが良い。「のろのろ」であれば、ゆっくりとした動作を表す形容詞「のろい」の音である「のろ」を取り出し、それを「のろのろ」と重ねて強調することにしたのではないか。「ぬめぬめ」にしても同様で、なめらかで滑りやすい状態を表す動詞「ぬめる:滑る」の音である「ぬめ」を取り出し、それを「ぬめぬめ」と重ねて強調したものと思われる。この「音を重ねて強調する」という変化は、オノマトペ独特のものだろう。

 なお、オノマトペの音韻パターンの分析については、小林英雄がその著書「オノマトペ<擬音語・擬態語>を考える」の中で、詳細な分析を行っているので、興味のある方は参照されたい。[10]

 

4.言葉の広がり

 オノマトペは言葉の一種である。

 言葉の広がりについて、興味深い調査研究があるので、今度はそちらへ寄り道してみよう。

「でんでんむしむし、かたつむり、お前の頭はどこにある・・・・・・」という童謡があるが、貴方のお住いのところでは、その動物をどのように呼ぶのだろうか。デンデンムシ? あるいは、カタツムリ? 他にも、マイマイやツブリという呼び方もある。

 これを系統立てて調査したのが、日本民俗学の創始者と言われる柳田国男(1875/1962)である。その著書「蝸牛考」(1930年刀江書院発行 1980年岩波文庫収録)で、柳田は「方言周圏論」という考え方を示した。これは中央、つまり政治文化の中心であった京都で発生した言葉が全国に向けて広がっていき、古い言葉は遠くまで到達し、それを新しい言葉が中央から上書きしていくことで、結果として同心円的分布が見られるようになる、という考え方である。

「蝸牛考」の「蝸牛」とはかたつむりのことである。柳田の行った調査では、京都を中心として一番外側に「ナメクジ」、その内側に「ツブリ」、さらに内側に「カタツムリ」、そのさらに内側に「マイマイ」、もっとも中央に「デデムシ」という呼び方の分布が見られた。

 これはつまり、最も昔には、京都では蝸牛はナメクジと区別されずにいて、それが全国に波及していった。そして、次に、ナメクジと区別してツブリという呼び名が成立しそれが広がっていった。同様に、その後、カタツムリ、マイマイという呼び名が成立・波及し、最も新しい呼び名がデデムシである、ということだ。[11]

 この「方言周圏論」には、もちろん異論もある。大西拓一郎(1963)は、その著書「ことばの地理学 方言はなぜそこにあるのか」の中で、柳田国男の研究に敬意を払いつつも、その研究結果から同心円的な分布が見えてこないとし、また、新語の発生地が必ずしも分布の中心地とは限らず、同じ場所が繰り返し言語変化の出発点となることは極めてまれではないかとして、疑問を呈している。ただし、大西自身も断っているように、方言学の中では、方言周圏論は一般的な考え方になっている。[12]

 政治文化の中心地は、古来より京都であった。江戸時代に入っても、質素倹約を旨とする武士が立てた新興の町である江戸よりも、経済の中心地であり商人の町である大坂、そして古来より多くの人口を抱える京都の「上方」が、長く文化の中心であった。(五代将軍綱吉の時代の元禄文化が「上方町人」を中心とした文化と言われ、その後、十一代将軍家斉の時代の化政文化で、その中心が「江戸町人」に移ったと言われる。[13]

 大西が指摘するように、同じ場所が繰り返し言語変化の出発点とならないと言葉の同心円的な分布は生じ得ないが、日本の中で、京都を含む上方(畿内)の持つ大きな影響力は、長く続いていたと考えられ、「蝸牛考」で考えられているような言葉の同心円状の分布が、存在していてもおかしくはない。大西は、柳田の調査結果からは同心円状の分布が認められなかったと述べているが、その他に同様の調査はないのであろうか。

 実は、あるのである。それも、意外なところに。

 朝日放送が制作している「探偵! ナイトスクープ」という番組をご存知だろうか。この番組は、視聴者から寄せられた依頼にもとづいて、探偵局長(現在は西田敏行)が優秀な探偵たち(間寛平他のタレント)を野にはなち、世のため、人のため、公序良俗と安寧秩序を守るべく、この世のあらゆる事どもを徹底的に追及する娯楽番組である。[14]

 きっかけは、視聴者からの「東京からどこまでがバカを使い、どこからがアホを使うのかを調べてください」という依頼であった。

 この依頼を調査すべく、当時の探偵局長上岡龍太郎が放った探偵北野誠は、東京から西へ、「一般の人に滑稽なことを仕掛けて、どのような言葉を浴びせられるか」という実験を進めていく。東京では「バカ」、静岡の富士でも「バカ」であった。しかし、名古屋駅では「タワケ」という言葉が彼に投げつけられた。そこで、彼が、岐阜市、滋賀県米原市、岐阜県大垣市で調査したところ、岐阜市及び大垣市では「タワケ」、米原市では「アホ」であった。その後も詳細な調査を進めたところ、どうやら「アホ」と「タワケ」の境界地は、滋賀と岐阜の県境、関ケ原辺りにあるらしい、ということがわかった。最終的に、かれは県境の集落に飛び込み、家を一軒ずつ確認していって、「タワケ」を使う家と、一本道を隔てた先にある「アホ」を使う家を発見し、その道をもって「アホ」と「タワケ」の境とするのだった。(朝日放送 1990年1月20日放送)[15]

 この放送は好評であったが、調査としては「アホ」と「タワケ」の境界についてのみで終わっており、番組中でも引き続き調査する旨の発言がなされた。そう、後日、詳しい調査が行われたのである。その方法とは、なんと、全国市町村教育委員会に「当地でのバカやアホに相当する言葉について」のアンケート用紙を発送するという大掛かりなものであった。

 なお、アンケート調査は、柳田国男が「蝸牛」等の方言調査に用いた手法でもあるので、両者のアンケート文面を比較してみるのも面白い。[16]

 この調査のいきさつや結果については、番組プロデューサーであった松本修が著書「全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路」(新潮文庫)にまとめている。非常に興味深い調査であることはもちろん、高視聴率番組の制作秘話としての読みごたえもある本書、比較的安価(定価720円)で、入手もしやすいと思われるので、興味のある方には一読をお勧めする。お気づきになりにくいが、カバー裏に全国アホ・バカ分布図が印刷されている。

 この大調査の結果浮かび上がったのは、やはり、アホ、バカ等の言葉の変化が、日本列島上に同心円状に広がる姿であった。例えば前述の「タワケ」は愛知・岐阜等の中部地方の他に、畿内を挟んで反対側である、広島県西部や山口県、四国西部、九州東部にも見られた。[17] それよりも遠く離れた場所、畿内から東西に500KM強離れた東北地方北部と九州最南部には、「ホンジナシ」が長い時間の経過でいくつかの形に変化をしながら残っているのが確認された。[18] もちろん、関東・東北地方で広く使われる「バカ」も、畿内を挟んで反対側である中国・九州で広く使われていることが確認された。そして、「アホ」は畿内、つまり関西以外では見られなかった。

 ここで取り上げた言葉を整理すると、「ホンジナシ」が最も古く京都で成立して各地に伝播し、次に「バカ」、その次に「タワケ」が成立・伝播した。そして最後に京都に登場した言葉が「アホ」だ、いうことになるのだ。

 おっと、脇道を歩きすぎたかもしれない。そろそろ、本道に戻ることにしよう。

 このような調査から、言葉が文化の中心地である畿内を中心に、発生・伝播を繰り返してきたと考えられるのであれば、言葉の一種であるオノマトペも、そのような分布を確認することが可能なのではないだろうか。今度は、この道を進んでみることにしよう。

 

5.オノマトペ「パリン」の広がり

 オノマトペは、いくつかの種類に分けて考えられると、既に述べた。

(1)語音をもって自然音を写そうとしたもの。写される内容も写す手段も共に音響世界である。擬声語、擬音語。

(2)ある種の態度を自然音に相当する語音をもって、類推的に写したもの。擬態語、擬容語。

(3)ある種の状態を自然音とは何ら対応するところなき語音をもって示したもの。符号、符牒。

 一言でオノマトペと言ってもいささか幅が広いので、ここはテーマである「パリン」に戻って考えることにする。

「パリン」とは、軽くて硬いものが割れたり破れたりする音、また、そのさまを表すオノマトペである。[19] 上記の区分で言えば(1)の擬音語の要素と、(2)の擬態語(擬容語)の要素の、両方を持つようだ。

 擬態語は、もともとの写される内容のものが音響世界の物ではなく、それを類推して写したものである。それには人間の音に対する感覚が影響を与える。

 音響に関する人間の感覚、例えば、清音はなめらかであるが、濁音はざらざらしている、というようなものについては、丹野眞智俊が詳しく調査している。[20] しかし、一定の法則はあるにしても、それが人間の感覚によるものであれば、変化する余地はあるのではないだろうか。これまでは物の割れる様子を別の言葉で表していた土地でも、都で「パリン」という表現が流行りそれが伝播してきたので、以降は「パリン」というようになった、ということは考えられる。そうすると、「物の割れる音」も、やはり、変化が同心円状に現れてくるのだろうか。

 一方で、「パリン」が持つもう一つの要素、(1)の擬音語としての要素を考えると、もともとの自然音を語音に写すのであるから、あまり変化の余地がないようにも考えられる。しかし、本当に変化の余地は少ないのだろうか。

 我々は、犬の鳴き声を「ワンワン」と表現するが、英語で「wanwan」という語句はない。英語で犬の鳴き声を表す場合は「bowwow」という擬音語を用いる。[21] 犬が、日本語と英語で鳴き分けているのではない。(品種による違いはあるだろうが) つまり、同じ自然音をもとにしても、聴く人によってそれは違う音に聞こえ、違う音のオノマトペが作られるのである。

 ここで、また脇道にそれる。「空耳」という言葉をご存知だろうか。そう、テレビ朝日系列で放送されている深夜番組「タモリ倶楽部」の一コーナー「空耳アワー」でおなじみのアレである。「空耳アワー」では、「外国アーティストの楽曲のフレーズが、本来の歌詞とは違うが、このように聞こえる」という投稿を紹介するコーナーだ。一度その解釈を聞いてしまうと、次に本来の楽曲を聞いても、また、解釈された風に聞こえてしまうのが面白い。

 これは、人間の持つ根本的な認識機能の一つである「パターン認識」によるものと考えられる。人間は知覚の対象が特定のパターン(類似性によって抽出された概念)に当てはまるかどうかを認識する[22]ため、聞きなれない英語のフレーズに対しての日本語の解釈を聞くと、脳の中に日本語の解釈が強く残り、次に英語のフレーズを聞いたとしても、そのパターンに類似するものとして聞こえてしまうのだ。

 これらのことから考えると、例え、「パリン」が自然音を語音に写した擬音語であっても、新しい音で表現される余地はあり、それが成立・伝播した場合には、パターン認識により、以降はその音でしか聞こえなくなる、ということがあり得るのではないだろうか。「物が割れる音」のオノマトペにも、同心円状の変化分布が見られるのかもしれない。

 また、オノマトペ「パリン」の広がりについて、このような切り口でも考えられる。

「パリン」を「池の氷が割れる音」と狭く定義したらどうだろうか。南北に長い日本列島のこと、北の方では厚い氷が張るので、それが割れる音は「バリン」や「バキバキ」などの重い音で表現されるのではないだろうか。そして、南に下り、「パリン」と表現される地方を通過すると、今度は氷がごく薄くしか張らないので、「パキン」や「ピシッ」などのより軽い音で表現されるようになるのではないだろうか。

 オノマトペ「パリン」という旗を振り歩くだけで、日本語の野原をどんどんと散歩していくことが出来る。

 

6.おわりに

 本稿は、オノマトペ「パリン」という旗を振りながら、気の向くまま日本語の野原を散歩して回ったものである。

 散歩は楽しい。どこへでも行ける。

 例えば、「パリン」を「食器が割れる音」と捉えればどうだろうか。「陶器が割れる音」の表現で調査を行った場合、焼き物の発展の歴史、つまり分厚い陶器から薄い磁器が作られるようになり、やがて、ガラス食器が普及するようになった歴史と、何らかの相関を見つけられるだろうか。

「パリン」にこだわらなければ、「テレビのチャンネルを変える動作」を表すオノマトペには、既に「ガチャガチャ」から「ピッ」への変化が生じているのではないだろか。そして、この「ピッ」は、いずれ、テレビに対してチャンネルを変えるように語り掛ける言葉を表すオノマトペに、置き換えられるのだろうか。

 幼児語はオノマトペの一種であるが、車を表す「ブーブー」は、電気自動車が普及した後も生き残るだろうか。あるいは、「スースー」、「スイスイ」などに置き換わるのだろうか。

 ああ、想像はどこまでも「フワフワ」と膨らんでいく。

 最後までお付き合いいただいた貴方に「ペコリ」と頭を下げ、ここで「コトン」と筆をおくことにしよう。

                                  くにん

 

 

                                        

[1]ホームページ(以下:「HP」と表記)「デジタル大辞泉」 オノマトペ

[2]HP「デジタル大辞泉」 擬声語

[3]HP「デジタル大辞泉」 擬態語

[4]「オノマトペ<擬音語・擬態語>を考える 日本語音韻の心理学的研究」(著者:丹野眞智俊 あいり出版)P1~2

[5]HP「精選版 日本国語大辞典」 かっ-こう【郭公】②

[6]HP「野鳥を楽しむポータルサイト BIRD FAN」(公益財団法人日本野鳥の会) ホトトギス

[7]「ヒト・ことば・社会」(著者:児玉徳美 開拓社)P41

[8]「オノマトペ<擬音語・擬態語>を考える 日本語音韻の心理学的研究」(著者:丹野眞智俊 あいり出版)P2~3

[9]「擬音語・擬態語4500 日本語オノマトペ辞典」(編者:小野正弘 小学館)

[10]「オノマトペ<擬音語・擬態語>を考える 日本語音韻の心理学的研究」(著者:丹野眞智俊 あいり出版)第2章オノマトペはどのように分類されるか(P19~35)

[11]「ことばの地理学 方言はなぜそこにあるのか」(著者:大西拓一郎 大修館書店)P22~24

[12]「ことばの地理学 方言はなぜそこにあるのか」(著者:大西拓一郎 大修館書店)P162~182

[13]HP「ブリタニカ国際大百科事典 小項目」 元禄文化 及び 化政文化

[14]HP「朝日放送 探偵! ナイトスクープ」 番組紹介

[15]「全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路」(著者:松本修 新潮文庫)P20~27

[16]「全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路」(著者:松本修 新潮文庫)P69及び83

[17]「全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路」(著者:松本修 新潮文庫)P97

[18]「全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路」(著者:松本修 新潮文庫)P190

[19]「擬音語・擬態語4500 日本語オノマトペ辞典」(編者:小野正弘 小学館) ぱりん

[20]「オノマトペ<擬音語・擬態語>を考える 日本語音韻の心理学的研究」(著者:丹野眞智俊 あいり出版)「第3章オノマトペの清音と濁音はどう異なるか」~「第5章音韻と音象徴の関係はどうなってるか」P37~134

[21]HP「Weblio 英和辞典・和英辞典」 bowwow

[22]HP「百科事典マイペディア」 パターン認識