コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 第309話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。幼名は「羽」(う)。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第309話】

 自分がそういう弱い面を持っていることを、羽磋は身をもって知っていました。この旅に出る直前に、自分が全てを悪い方に受け取って極度に興奮し、輝夜姫に言ってはいけないとても酷いことを言ってしまったことがありました。それはやはり、一見輝夜姫が自分を裏切ったかのように思える場面で、心を強く持って彼女を信じ続けるのではなく、感情に流されて拗ねるという楽な方を、羽磋が選んでしまったのが原因でした。

 もちろん、そのような弱い面は、羽磋にだけ見られるものという訳ではないでしょう。先ほどは、王柔が理亜に対して拗ねてしまった場面もありました。やはり、人間の心は非常に複雑な形をしていて、当然のことながら、それには強い面もあれば弱い面もあるということなのでしょう。

 ただ、それを無自覚でいる人と自覚している人とでは、厳しい物事や辛い出来事にぶつかった時の耐性が大きく異なるというのも事実です。

 確かに羽磋は、自分が母親を説得できるかどうかで全てが決まってしまうということに背負いきれない重圧を感じて、「諦める」と言う楽な道に逃げ込みそうになってしまいました。でも、いまの羽磋は自分が弱い面を持っていることを自覚していましたから、輝夜姫からの呼び掛けと言うきっかけを得ると、自分の弱い面が前面に出てしまっていることに気付けました。もちろん、羽磋の肩の上に載っている責任はとても大きいのですが、「もうこれ以上頑張るのはしんどい。楽になりたい」という自分の弱さが、それを殊更に大きく見せて、諦める理由を作り出そうとしているのだということに気付けたのでした。

「どうしたっ。何を黙っているのだっ。少年よ、説明をしろっ!」

 再びビリビリッと空気を震わせて、濃青色の球体から激しい勢いで大声が叩きつけられました。

 羽磋が説明を途中で止めてしまったので、「母を待つ少女」の母親は彼に対する疑いを増々深め、怒りを増幅させているのでしょうか。

 いいえ、冷静さを取り戻した羽磋は、そうは思いませんでした。

 確かに、心の弱い面に支配されていた先ほどは、自分に叩きつけられる「母を待つ少女」の母親の声を、激しい怒りを伴ったものとして受け取っていました。ところが、いまの羽磋には、母親の大声がビリリィと震えているのは、彼女が怒っているのではなくて不安に思っていることが現れているのだと思えました。そして、彼女が自分の説明の先を求めて急くのは、それを疑って責め立てているのではなく、先を早く知りたくて仕方がないからだとも、気づけたのでした。

 そうです。「母を待つ少女」の母親は、羽磋に対して激しい怒りを覚えたりはしていませんでした。ましてや、彼を攻撃したり飲み込んでしまったりしようなどとも考えておりませんでした。それどころか、「母を待つ少女」の母親は、羽磋の話の続きを早く知りたくて、狂おしいほどに気が焦っていたのです。その母親の思いが空気を激しく震わすほどの強い言葉となって、羽磋に対して放たれていたのでした。

 だってそうではありませんか。

 羽磋と呼ばれる小柄な若者が王柔と呼ばれる長身の男に話していた内容を、「母を待つ少女」の母親も漏れ聞いていましたが、それは俄かには信じがたいこととは言え、「全くの出鱈目だ」と一笑に付してしまうことはできませんでした。彼らが話していたのは、「母を待つ少女」の母親の大事な「娘」、つまり、「母を待つ少女」についての事だったのですから。

 たちまち母親の注意の全ては羽磋が王柔に話す内容を漏らさず聞いてそれを理解することに集中し、それ以外のことは全く考えられなくなってしまいました。でも、それは母親にとっては全く自然なことで、自分がそのような状態になっている事を意識すらしていませんでした。

 母親が最後に娘の姿を見たのはずいぶんと昔の事で、それは、幻の薬草を求めて長い旅をしていた自分を、砂岩でできた像となって待っている娘の姿でした。長く厳しい旅の果てに訪れたこの結末に絶望した母親は近くにあった地面の亀裂に身を投げ、以後はこの地下世界で時を過ごしていたのです。

 その母親の前に現れた赤い髪の少女と男たちに対して、一度は激しく怒りをたぎらせたものの、男たちが「少女の身体の中には、自分の大事な娘の心の半分が入っている。残りの半分は地上の砂岩でできた像の中に入っている。そして、その像は動き出して誰かと戦っている」と言うのです。

 「母を待つ少女」の母親にとって、これ以上の大事な話があるでしょうか。もし可能であれば、両の手を伸ばして羽磋とか言う小柄な若者の両肩を掴んで、「どういうことなんだ、もっと詳しく説明しろっ」と問い詰めたいところですが、いまの彼女は濃青色の球体と化してしまっています。彼女にできることと言えば、発する言葉にできるだけの力を込めて、羽磋に説明の続きを求めることしかなかったのです。

 輝夜姫の声のお陰で自分を取り戻した羽磋が気付いたのは、その「母親」側の気持ちの動きについてだったのでした。そして、その気持ちを知ってから聞く母親の大声からは、自分に対しての怒りや憎しみではなくて、彼女が娘に対して持つ愛情と心配が、伝わってくるようになったのでした。