コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

【小説】干天の慈雨 ~ココロにパフュームをⅢ

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 目に入る日の光が強い。

 太陽の熱で焼かれた肌が、ヒリヒリと痛い。

 そして。

「暑いっ!」

 乾燥した空気が、大きく叫んだあたしの喉から、水分を奪っていく。

 苛立たしくて蹴り飛ばした地面から、赤茶色の砂煙が立った。

 なんなの、ここは。

 片手を目の上に立てて日差しを避けながら、周囲を見回してみる。

 あたしが立っているのは、煉瓦を砕いて撒き散らしたような赤茶色をした干からびた荒れ地。ところどころに群生している短い下草の他には、生き物の気配はない。

 荒れ地は地平線の間際まで途切れることなく広がっていて、地面と空との境界には、波をそのまま砂で象ったような砂丘が立ち並んでいる。なんだか、巨大な赤茶色のお盆の上にでも、乗っているようだ。

 ああ、砂漠だな。あたし、砂漠にいる。

 

 そうか、いつものアレだ。

 そう意識したとたんに、先ほどまで感じていた、暑いやら乾いているやらの「砂漠の感覚」は、嘘みたいに消え去ってしまった。

 

 これが夢なのか、それとも、現実なのかは、あたしにはわからない。

 だけど間違いなく、この砂漠の舞台には、あたしは立っていない。詩的に言えば、砂漠に立つ陽炎にでもなったようなものだ。

 その証拠にほら、あそこを歩いている女の子、あたしのことなんかまったく気が付いてないよ。

 弟かな、小さな男の子の手を引いて、もう片方の手で頭の上に載せている瓶を支えながら、せかせかと歩いている少女。黒い肌の上できらきらと汗が光ってて、とても綺麗だ。

 どこまで行くんだろう、彼女。水汲みにでも行くのかな。それとも、その帰りかな。

 砂漠での水汲みは大変だよね。暮らしているところの近くで、水が汲めればいいのに。というか、そもそもこんな乾燥した荒れ地で暮らすのは、大変じゃないのかな? ざぁっと雨でも降ればいいのにさ。ざあっと。

 そうだよ、こんなにカラッカラに乾いてるんだもん、雨が降ればみんなが喜ぶんじゃない?

 

 すると、あたしの想いが神様に届いたのか、あるいは、夢の世界に反映されたのか、地平線に小さな黒雲が急速に沸き立ってきた。

 

 ええぇっ。なに、なんか都合が良すぎる気がするけど・・・・・・。

 でも、やった、あれって、雨雲じゃない? ほら、なんか、空の低いところを、どんどんと灰色に塗りつぶしていくよ。雨だよ、雨が降るよ、これ。

 

 ブワ、ブワブワワァ・・・・・・。

 

 すごい。

 噴火した火山が上げる噴煙のように、瞬く間に空一面に広がっていく。

 

 ブブブ、ブワブワブ、ブブブワワワッ・・・・・・。

 

 ん、ブブブ?

 なんで、雲が広がるのに、音が? 

 あれ、あの女の子たち、恐ろしいものを見たみたいに慌てて走っていく。雲から逃げようとしているんだ。

「助けて! 助けて!!」

 彼女の上げた叫び、あたしにわかるはずのない言葉だけど、その意味は分かった。

 だって、あんなに必死な顔をして、泣きそうになりながら叫んでいるんだもん。

 だけど、なぜ?

 

 ブブブブブワ、ブブブウブブブウ。

 ブブブフブブブウン、ブブブブウッブウブウ。

 ブブブブブ、グブブブブブブ。

 ブブブフウブ、ヌブブブブブウブッブ・・・・・・。

 

 その答えは、すぐに向こうからやってきた。

 

 雲じゃないっ。

 あの黒い塊は、雲じゃないっ。

 あれは、バッタだっ!

 ものすごい数が密集して向こうが見えないぐらいになっている、バッタの大群なんだっ。

 

 文字通りあっという間に、あたしはバッタの群れに飲み込まれた。

 大きな木陰の中にでも入ったかのように、辺りは薄暗くなった。

 子供のこぶしほどの大きさのバッタが、夏の日に立つ蚊柱のような密度で、あたしの周りの空間を埋め尽くしているんだ。

 群れの中からは、空なんか見えやしない。一面のバッタ。バッタ。バッタ。バッタが飛び交う。あたしの体を透り抜ける。

 地面のところどころにできている黒い塊は、下草に集ったバッタが折り重なってできたものだ。

 カチカチカチ。ギチギチギチ。

 聞こえるはずのないバッタの歯の音までが、あたしの耳に聞こえてくる。

 水汲みの女の子たちの体にも、無数のバッタがくっついている。泣きじゃくる男の子をバッタから守るようにしながら、女の子は走り続ける。自分たちの体についたバッタを懸命に払い落としながら。

 彼女が走り去った後には、割れた素焼きの瓶と小さな水たまり。そして、そこにも、バッタの黒い塊が・・・・・・。

 あたしの身体に付きこそしないものの、バッタはどんどんと数を増やしていく。そのあまりの密度の濃さに、息が詰まりそうだ。

 ああ、溺れる。バッタの海に溺れる。

 あたしは、あたしは・・・・・・。

 

 

 

「・・・・・・響ちゃん、大丈夫ですか?」

「どしたの、響。聴いてる、あたしの話?」

 あたしは友達にかけられた言葉で我に返った。薄暗くぼんやりとしていたあたしの世界は、急に明るくなって輪郭がはっきりとしてきた。

「えっと、ん。大丈夫。ごめんごめん。何の話だっけ」

「んもう、しょうがないなぁ、響君はぁ。久しぶりにみんなで集まれて嬉しい。この時間は、まるで干天の慈雨だねって話だよ」

 そうだ、そうだった。

 世界中で拡散している新型感染症が日本でも広がった影響で、あたしたちが住む東京でも、できるだけ外出を控えるようにとの通知が、長い間出されていた。現在のところ新型感染症の予防法や治療法が見つかっていないので、人との接触を可能な限り減らして、感染の拡大を防ごうというものだ。

 あたしたちも、自宅に引きこもる生活が長く続いてた。でも、みんなの努力のお陰で、病気の広がりがようやく下火になり、やっと外出自粛通知も解除となったから、久しぶりに仲の良い友達と集まって、お茶会をしているところだったんだ。

 喫茶店の大きな窓から差し込んでいる日差しのように、温かな雰囲気を持つさくらが、あたしのことを心配してくれてる。

 その横で、こちらに気を使わせないようにと、わざとふざけた口調をしてくれているのは七海だ。

 二人とも、あたしのことを理解してくれる、大切な大切な友達なんだ。

 子供の頃から、あたしは何かのきっかけですぐに「あちらの世界」に行ってしまう。「あちらの世界」があたしの想像の世界なのか、それともどこかにある本当の世界なのかは、あたしにもわからない。でも、どちらにしても、あたしにとっては「自分が体験した世界」だ。

 ほとんどの人は、あたしの「あちらの世界」での話を笑う。残りの人は、気味悪がる。

 だけど、二人は「あちらの世界」での経験もあたしの経験だと、自然に受け入れてくれるんだ。

 今もそう。

 あたしが見た砂漠の話をすると、二人は真面目に聞いてくれた。

 

「そうだったんですね。でも、その女の子と男の子、怪我してないといいですね」

 さくらが水汲みの姉弟のことを心配してくれる。

「そうだよねぇ・・・・・・。あ、これだ。今、アフリカの方が異常気象になってて、雨がたくさん降ったせいで、バッタが大量発生しているんだって」

 スマートフォンを操作していた七海が、バッタの大量発生を伝えるニュースを見つけてくれた。そうすると、さっきの「あちらの世界」は現実の世界なのかな。

「あたし、乾燥した砂漠に雨が降ればみんなが喜ぶと思ったんだけど、そういう訳にはいかないんだね」

「うん、そうみたいだよ。いつもは乾いているところに急に大雨が降ったせいで、大量のバッタが一度に卵から孵って、大きな群れになったんだって。大発生したバッタは、飛んでいく先にあるものを、全て食べ尽くしちゃうんだってさ」

 七海が教えてくれる。ファッションの世界に進むことを目指している七海は、新しいことから古いことまで、いろんなことに興味を持っているし、情報を収集するのにも長けているんだ。

「乾燥しているところに雨が降れば・・・・・・、あ、そうか、響ちゃん・・・・・・」

「干天の慈雨か! あー、あたしが言った言葉に引っかかったのか。ごめん、響!」

 七海が大げさに手を合わせてあたしに謝って見せる。優しい子。それに、さくらもあたしのことを特別扱いしないでくれて、本当にうれしい。

「ううん、全然気にしないで、七海。でも、やっぱり、なんか複雑だよね。だって、もともと七海が言ってたのも、久しぶりにみんなで集まれてうれしいねってことでしょ。だけど、そうでもないって場合もあるってことになっちゃうよね、干天の慈雨でも」

「そうですね、乾燥したところに雨が降っても、良い場合と悪い場合があるんですものね」

「だから、干天の慈雨も、か。ふふふ・・・・・・、そうでもないかもよ。響君、さくら君」

 七海は楽しそうに笑って、カフェラテを口にした。ほんっとに、こういう時の七海は、心の奥底から楽しそうだ。

「干天の慈雨って、もともと、日照り続きで困っているときに降る恵みの雨のこと。つまり、異常から日常への回帰だよね。アフリカでの大雨は、残念だけど、日常から異常。干天の慈雨じゃない。だから、困ったことになるんだよ、きっと。大丈夫、今日のあたしたちのお茶会は、干天の慈雨。新型感染症の異常から、ようやく戻ってきた日常だもん」

「なるほど。さすが七海ですっ」

「そうかぁ、そうだよね。今日は干天の慈雨でいいんだ」

 解説によってすっきりと気が晴れたあたしとさくらに、七海はにっこりと微笑んで付け加えた。

「ねっ、だから、今日は素直に楽しもう! だって、あたしは久しぶりに二人に会えて、とってもうれしいんだもん!」

 

 

 

「干天の慈雨」。

 アフリカ大陸だって、大昔から砂漠が広がっていたわけじゃないという。

 ひょっとしたら、今回大雨が降った地域も、昔には日常的に雨が降っていたのかもしれない。そうであれば、乾燥しているときに降った雨は、まさしく「干天の慈雨」だったんだろう。

「干天の慈雨」。

 こうして久しぶりに親友と集まれる時間は、あたしにとってまさしく干天の慈雨だ。

 だけど、もし、日常が今と異なるものとなってしまったら。

 新型感染症後の新しい「日常」が、こうして友達と同じ場所で同じ時間を過ごすことを、含まないものになってしまったら。

 この楽しい時間は「異常」になってしまって、周囲に不幸をもたらすことになってしまうのだろうか。

 

 そんなのは、嫌だ。

 絶対に、嫌だ。

 

 あたしの、あたしたちの日常は、今ここにあるものだもん。

 

 だから、これからもこの時間が、「干天の慈雨」でありますように。

 あ、違う。違うぞ。

 この楽しい時間が「日常」として続いて、それを失わせる「干天」が、これ以上やってきませんように。そして、その「干天」が「日常」を上塗りしてしまうことなど、絶対にありませんように。

 

「そうだよねっ!」

 

 あたしは、キョトンとしているさくらと七海に笑いかけて、シロップがたっぷりかかったパンケーキを一切れ、口に運んだ。

                                  <了>